前の記事の続きです

 

 

誰もが幸せになる方法

 

よりも

 

自分の思いを経験できる方法

 

これがよい

と書きました

 

 

あ~そうか

な~んだ、そりゃそうだ

という感じです

( ̄▽ ̄)

 

 

設定が

幸せであること

ではなく

自分の思いを経験すること

であったなら

らぴ。はすでに知っていましたね

 

自分の思ったとおりに

生きましたから

まさしく

自分の思いを経験してきたのです

 

よってその方法を知ることなく

すでに実現しておりました

 

 

 

 

人それぞれ

望むものが違っていますので

 

自分の思いを経験できる方法

 

これが完璧な方法ですね

 

 

しかし

この方法について

実はそんなもの

必要無いのでした

らぴ。もそうであった通り

 

そう、もう

全ての人がすでにそのような状態を

経験しているからです

 

 

らぴ。がかつて

全ての人が幸せになれる方法を開発する

と思っていた時

実はらぴ。の中に

反対方向があったからなのでした

 

苦がある状況があって

だからこそ

誰もが幸せになれる方法を見つけたい

と思ったのですね

 

苦を選び

苦を経験する中で

幸せで在る方法を見つけたい

だなんて

矛盾しているのです

 

 

 

苦がある人ほど

幸せを求めます

 

その時の思いは

苦が強いほど

幸せへの思いも強くなります

 

 

しかしもう

そのようなことをする必要がありません

 

すぐに

幸せを選択すればよい

 

幸せを経験すると

決めればよいのです

 

 

そして苦を経験している人は

実は苦を選択しています

 

らぴ。は間違いなく

そうでした

あえて苦に挑戦し

そのために苦を選択したのです

 

 

苦を経験するのも

楽を経験するのも

自由です

 

 

もし

自分は選択していないのに苦を経験している

と思う場合

 

実は思考の流れが

苦に向かっている場合があります

 

または

苦に関連する習慣があったり

 

これを知るには

まずは自分が苦を感じる時

苦を選択していることに気付くことです

 

もしわからなければ

今起こっている思いと

自分の思いを一致させてみます

 

自分が苦しい時

苦しい思考をしている?

苦しみを選択しているから苦しいのか?

 

そう問う時

新たな思考が生まれます

 

では

何が苦を生み出している原因なのだろう

 

その思考により

苦の原因がわかってきます

 

これって少し

らぴ。の道の初めに似ています

 

この思考により

苦を克服するアイデアがわいたのです

 

もし当時のらぴ。に

助言するなら

苦に向かわず

幸せなことに目を向けるとよい

ですかね

 

当時は

苦があるなら

幸せなことも必ずあったはずですから

 

どちらにフォーカスするか

によって

それ以降の展開が変わってきます

 

 

ただし、

当時のらぴ。に助言しても

「いや、苦を克服する!」

という返事が返ってくるでしょう(笑)

 

よって更なる助言は

がんばれ

きっと克服できる

でしょうか

 

しかし悟らなければ

苦は克服(消滅)できません

 

よってらぴ。は

偶然に必然に

悟りの道を選択していたのですね

 

 

 

人として存在する時

苦も楽も必ずあります

 

よって苦と楽とうまく付き合うことも

幸せでいる秘訣です

 

苦を最小限にし

楽を最大限にする

 

これが人としての

幸せな在り方です

 

苦は決して無くなりません

幸せがある限り

 

よって常に

幸せの選択をすると決める

 

苦を感じている時は

苦を感じることを許している自分に気づき

しかしそれは過ぎ去るものだと知り

一旦は苦を受け入れ

すぐに楽を選択する

 

 

苦の消滅は悟りでしかありません

 

結局

らぴ。はそれを選択しただけのこと

 

 

だから幸せになりたければ

幸せを選択すること

 

自分の思いと望みを

一致させること

 

 

実は幸せを望んでないのに

(幸せではない思考があるけど

自覚がない場合など)

苦はいやだ~

と思っている人がいます

 

苦を生み出す思考に気づき

ぜひ幸せの思考を開始してくださいね

 

 

簡単です

 

幸せになるのは

苦を経験してしまうくらい

簡単なのです

 

変な言い方ですね( ̄▽ ̄;)

 

 

苦が当然

ではなく

幸せが当たり前

 

これで生きましょう!

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

>もし

>自分は選択していないのに苦を経験している

 

これのヒントの一つとして

 

自分以外の人の思い

を自分の思いとし

自分以外の人の思いの実現

を代行している場合があります

 

それは本当に

自分が望んでいますでしょうか?

 

自分の思いと行動が

違っていると

苦が生まれることがあります

 

 

自分の願望と

こうあるべきだ

が違っていることがあります

 

その時のこうあるべきだ

の根拠は

一体何でしょうか?

 

 

自分の人生です

誰かのものではない

 

自分が後悔ない選択ができますように!