体には

必ず上と下があります

 

上昇するエネルギーと

下降するエネルギーがあります

 

それらは共存し

つりあっている場所に

中心をおきます

 

 

人は

その中心がどこにあるか

で個性が出てきます

 

中心の場所によって

動作や雰囲気が変わってきます

 

 

またその中心は

日中、上下しています

 

それは体を保つために

大切なもので

体の法則に従っています

 

 

らぴ。は

今までは

その法則を無視した生き方をしていました

 

例えば

意識を上げ続ける方法

 

これは体の存在の法則に

従っていません

 

よって新たなエネルギーを生みますが

それが体によくない影響を与える場合も

あります

 

 

無とは

全く何も無い

という意味ではありません

 

全く何も無ければ

何も生まれることがありません

 

しかし無から生まれることができる

この世界

 

なぜでしょうか

 

 

無とは

例えば

プラスとマイナスが存在していて

プラスとマイナスが

完璧に同等であった時に

無となります

 

プラスとマイナスを含んでいる状態での無

 

無の状態からは

プラスとマイナスの存在を

見つけることはできません

 

しかし

プラスとマイナスの均衡が

ほんのわずかでもずれたら

プラスとマイナスが存在し始めます

 

 

究極の無は

すべてを含んでおり

さらにすべての均衡が完璧である状態なのです

 

 

自我が無い

とは

意志や意図や思いが無い状態なのですが

しかし

それらをすべて含んでいる上での無です

 

よってよく

そのもの

という表現をしていますが

その状態とは

すべてを含んでいる存在の状態

とも言える状態です

 

完璧な状態は

すべてを含んでおり

一部ではありえません

 

そしてすべてを含むため

プラスマイナスゼロ

という状態なのです

 

(プラスとマイナスの度合いは

それぞれ違いますが

全てが存在しているため

それらをすべてひっくるめると無となる)

 

 

また対象が無い

というのは

「私」と対象の区別が無く

両方を含んでおり

分離しようが無い状態とも表現できます

 

認識する「私」と

認識される対象が無い

 

よくこう表現もしていますが

認識する「私」と対象の区別が無く

例えて言えばすべてを含む状態のため

認識できない

 

例えば

「私」が山を認識する

という時

「私」と山は一体化しておらず

認識する「私」と

認識される山が別ものだから

認識することができます

 

そして「私」が山と一体化する時

「私」と山が消えます

 

認識する者と

認識される対象が消える

 

すると当然認識ができない

=認識が消える

 

そしてそれそのものとなるのです

 

 

無は無では無い

しかし無である以上、有でもない

 

しかし無から有は生まれる

 

なぜならその無とは

有と有の融合することによる無だからだ

 

この無を

空と例えることができます

 

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

悟りとは

分離していた「私」が統合することです

 

分離する、とは

例えて言えば

「私」の思いと行動が分離したり

行動しながら別のことを考えたり

行動を邪魔する思いが発生したりする状態です

 

それらが統合することにより

葛藤が消えます

 

何も遮るものが無く

この状態を

清らかな状態

と表現することができます

 

苦が無い状態です

 

そして統合した「私」を

真我

と言います

 

 

※言語化は一部しか表現できないため

例えを多く含んでいます