皆さまいかがお過ごしですか?

 

 

らぴ。は

ずっと変わらない状態

永遠に変わることのない状態

を望んでいました

 

この状態は

悟りの状態と同じ

と言えるものであり

らぴ。は

悟りについて知識が全くなかったにもかかわらず

それを望んでいたことになり

それに達するための道を歩き

達成したのでした

 

しかし

変わることも善いことですし

生命は変化し続けるのですね

 

 

 

最近、植物を育てることが楽しく

毎日、庭で過ごす時間をとっています

 

植物たちを眺めることは全く飽きません

 

ずっとそうしていられる

( ̄▽ ̄)

 

 

 

植物たちは

毎日変化します

 

変化できるからこそ成長することができます

変化することにより修復することができます

 

根の要素が無いように見える箇所から

根が生えてきて

そこからまた生命がつながる

 

枯れているように見えても

環境が整えば

芽を出していく

 

植物たちの生命はすばらしいですね

 

植物たちが存在するために

形を変化させ

成長し

命をつなぐ

 

命は変化しながら繋がっていきます

 

生命は植物たちの

全ての部分に存在し

変化することによって

命をつなぐ

 

 

変化があってこそ

生命は存在することができるのです

 

 

 

人々も

生まれてから

変化を繰り返して存在し

命をつないでいます

 

生きるということは

変化することであり

生きていくことにそれは必須であり

避けては通れないことなのです

 

 

植物たちの

変化の素晴らしさと

 

命は決して無くならないのだな

 

ということを

更に確認しました

 

 

変化し続ける植物たち

 

これからもずっと

変化しながら

変わらず

地球に存在し続けますね

 

 

人々も

変化できるからこそ

チャンスが存在しています

 

ずっと変わらないなら

そこから上に行くことはできないし

善くなることもできない

 

変化が在るからこそ

人生が豊かになるのです

 

 

そして変化には

時間が必要な場合がほとんどです

 

これも素晴らしいことです

その変化の時間を

楽しむことができるのです

 

時間がかかるということは

今がどうしようもなくても

未来が楽しみになり

明るい希望を持つことができます

 

時間がたてば

変化できることを知っており

そうであることを知っているからこそ

未来という時間の先に

希望を持つことができる

 

今、叶っていなくても

未来に叶った状態を想像することができる

 

時間の存在も

多くの可能性を広げてくれるのです

 

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

 

かつて変化を望まなかったらぴ。

 

失ったり

無くなったりすることが悲しくて

ずっと変わらないものがよい

と思っていました

 

しかし実は

何も無くなってもないし

失ってもいなかったのですね

 

それは変化しただけ

 

エネルギー

生命は決して無くならない

 

 

真我は

全ての大元であり

真我が在るからこそ存在できる「私」は

真我の一部であり

真我から生まれ

真我に戻る

 

真我に溶け込むと

もう「私」という個は存在しない

 

存在できない

 

そして何かの環境や条件がそろった時

真我からはみ出て

個となる

 

すべての存在は

真我の一部の性質を持っており

真我の一部と言える

 

よって

本能的に

真我に戻りたいと思う

 

それが悟りに対するあこがれとなるのでしょう

これも本能的なこと

 

誰もが

体の状態を終わらせる時

真我に戻ります

例外はありません

だから大丈夫です

真我を求める必要が無い

 

そもそも真我はすでに存在しているし

真我に戻ることが必ずできるからです

 

真我から生まれる「私」

 

「私」は無から生まれるのではなく

もともとあったものが

変化して存在することです

 

よって体を失うということは

状態が変化することであり

無くなることでは無い

 

決して無くなりません

 

 

 

「私」が存在していると

真我の状態となることができません

 

それが断言できる理由は

らぴ。がそうだったからです

 

「私」が消滅することによって

当たり前すぎて気づけなかった

ずっと存在していたものが

自我が消滅することによって

存在する状態となることができたからです

 

言語化すると

回りくどい言い方になってしまっていますが、、、

 

 

例えて言えば

全ての人は

らぴ。も当然

真我に気づくことはできません

 

真我は気づける対象ではないからです

 

真我に気づくという行為は

「私」と真我が

離れた状態でないとできません

 

それはありえませんので

真我は

決して気付くことができない

 

真我の状態となった時

「あ~そうなのか」

という感じなのです

 

真我に気づくのではなく

真我の状態となる

 

これが悟りです

 

 

「私」が考え

「私」に行動を命令し

「私」が行動する

 

精進中は

例えて言えば

上記の通り

「私」が一人ではありませんでした

 

たった一つ行動するのに

いろいろな「私」の段階があり

行動していました

 

だからこそ

途中で

「面倒くさい」

という思いが発生したら

行動が邪魔されるのです

 

 

悟ると

このいろいろな「私」の

区別が無くなり

例えて言えば

統一されます

 

邪魔できるものは存在しません

存在できません

 

そして新しい「私」が存在した状態となります

 

それが悟った状態の『私』

と表現することができるのです

 

 

 

生きている限り

変化し続けます

 

必ず変化が存在するので

そうであれば

善い方向に変化していくとよいのです

 

今すぐ

善い変化を望み

変化していきましょう!

 

そのために

善い方向への道しるべとして

善い目標を立てましょう

 

 

 

余談

 

真我は生命を含むが

生命ではない

 

真我は変化を含むが

変化ではない

 

真我はすべてを含んでいるが

すべてではない

 

すべてもすべてでないも

含んでいるからです