今、世の中は

ゴールデンウィークですね

 

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

 

らぴ。は

休日も仕事も

変わりがありません

 

休日が楽しみ!

とか

仕事、嫌だな

などの思いが無く

仕事と休日の違いがありません

 

同じなのです

 

これもかつて

らぴ。が望んでいた状態でした

 

 

楽しいことがあっても

それがずっと続くわけではない

嫌なこともたまにはある

 

こういう日常ではなく

常に楽しいことばかりがよい

と思っていました

 

 

今は出来事に左右されることなく

常に同じ状態です

 

 

 

さて

少し前の記事で

「同じ日はありません

常に新しい1日です」

と書きました

 

矛盾してる

って思いますか?

( ̄▽ ̄)

 

 

言葉にすると

矛盾しているように見えるかもですが

両方

同じ状態を現わしています

 

この矛盾に見える状態を

成り立たせることができるのは

「私」・自我が無い状態

なのです

 

 

>今はそういった出来事に左右されることなく
>常に同じ状態です

 

「私」が無いため

左右される「私」が無い

という状態です

左右されず変わらないその結果

「同じ」

と表現できます

 

 

 

>同じ日はありません

>常に新しい1日です

 

経験する「私」がおらず

残るものが無いため

過去の記憶に基づいた行動ではなく

常に新しい状態での行動となる

ということです

 

その結果

「同じ日はない」

と表現できるのです

 

 

 

悟った状態も

悟りの道も

矛盾に見えるものが多々あります

 

悟った状態は

すべてを超えていますので

矛盾しない

矛盾

すべて含む状態となっており

言語化すると両方の表現が出てきます

 

頭でつじつまが合うように考えて書き

それを続けると

矛盾が生まれることがあります

 

その状態は

「私」が一部を見て頭で考えており

その大元が見えていないからです

 

 

らぴ。の言語化する言葉たちは

言葉だけ見ると

矛盾しているように見えることがあります

 

それは

言葉という

断片しか表現できないツールを使って

伝えているからです

 

 

 

ちなみに悟りの道も矛盾がある

と書きましたが

どういうことかというと

 

精進において

「私」が消えては実践できないのに

実践を完璧に行うと

実践することが消えてしまうのです

 

実践に集中し

実践し続けることが正しい実践です

 

しかし精進を完璧に行えていれば

「私」は消えようとするのです

Σ(・ω・ノ)ノ!

 

 

精進の究極は

実践する「私」が消えた状態となり

結果

実践という行為が消えることとなります

 

その状態を

実践そのもの

と言語化しています

 

ちなみに

自我がある場合

実践そのものになる時もありますが

必ず我に返ります

 

それは

実践している時と

実践していない時が存在する

という表現もできます

 

実践そのものの状態が

ずっと続くわけではなく

あるきっかけで実践そのもになる時もあるけど

そうで無い時もある

という感じでしょうか

 

 

自我消滅すると

常に実践そのものです

実践する、ということが無い

 

そして我に返るということも無い

かといって

我を見失っている

ということでもない

 

その我がそもそも無いからです

 

それは自我=「私」が無くなった状態であり

行為が無くなった状態と言えるものなのです

 

 

なんだか言葉遊びみたいですね

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

ってこんな話はどうでもよくて(笑)

 

みなさま、楽しいゴールデンウィークを

お過ごしください

 

 

ゴールデンウィークもお仕事の方へ

 

お仕事をしてくださっているおかげで

休むことができる人々がいます

 

感謝です

 

そして休みの日もあると思うので

充実した休日となりますよう

お祈りいたします!