かつてらぴ。が精進していた時

 

思いを斬り捨てておりました

 

それは精進するために必要な思いだけにして

集中力を上げるためでした

 

精進に不必要な思いは

精進中のらぴ。にはいらないものでした

 

 

その斬り捨てた思いは

どこに行ったかというと

 

「私」の周りを囲みました

 

これが「私」を守る

フィールドとなりました

 

このおかげで

らぴ。は体をもって

精進できました

 

 

第一の激流終了時

チャクラ開発において眉間が消滅し

自我の一部が消滅しました

 

自我の一部が消滅した

とは

思いの一部が消滅した

とも表現できるものでした

 

よってらぴ。を守るフィールドを

創ることができなくなりました

 

らぴ。は無防備な毎日を

送ることになりました

 

(この段階があったからこそ

激流を起こすことができたのです

「私」を危機的状況まで

追い込むことができました)

 

 

眉間が消滅した後は

一旦精進から離れ

(しかし当時は

自分の生き方が

精進しているとは

わかっていませんでした(;・∀・)

人としての幸せを経験したいと

愛・富などを得るために

毎日を過ごしたのですが

 

当時

まぁ体調が悪かった

 

今、わかったのですが

それは

思いによるフィールド形成がうまくできず

存在むき出しの状態だったからなのですね

 

また当時

とは言っていましたが

愛がどういうものか

分からなかったです

 

しかしこういうものであろうと想像し

そうであるよう生きました

 

これも思いの一部が

消滅していたからです

 

また、この頃

フィールドが無かったせいか

どんなにひどいことをされても

平気でした

 

このひどいことも

愛である

なんて言い聞かせて

人としての幸せ(だと思っていること)

を経験することを

選択し続けました

 

人としての幸せ

と言いながら

やはり

修業状態だったのです(笑)

 

そもそも何かを欲することが

よくわかっていませんでした

 

しかし幸せでした

 

自分の思ったとおりの生き方

後悔ない生き方

ができたからです

 

自分を守るものが無い状態で

自分のわずかに残った思いで

せっせと幸せな人生を送るぞ!

と生きていました

 

この生き方を10年近くしていたでしょうか

 

その後、ある出会いがあり

それをきっかけに

精進を再開し

そしてついに

自我が消滅しました

 

もう思いが無い

よってフィールドも無い

 

このような状態となりました

 

この状態は

体の消滅の方向に行きます

 

体が衰えていくなかで

ブログを書いていました

 

 

体の衰えが

『存在』に影響を与えることはありませんでしたが

しかし

体が終わることより

人として存在することを決心しました

 

体をもって

地球に存在する、と

 

 

体を存在させるために

いろいろ工夫することにしました

 

すっかり忘れていたのが

フィールドの存在

でした

 

長年、フィールドの無い状態が

当たり前になっていたからです

 

体の存在には

フィールドがあったほうが良いですよ

(悟ってフィールドが無くても

体がすでに在ったため

存在していましたが

衰える方向となっていました)

 

 

 

自分の思いを捨てて精進していた時

その思いが

「私」の外に追いやられ

「私」の周りをかこっていました

 

この感覚、かつてにすごくありましたが

今まで言語化できていませんでした

 

らぴ。の思いを斬り捨てて行動する時

まさしくそのような状態でした

 

 

そして自我の一部が消滅した時

これができなくなったのですね

 

「私」の思いを斬り捨てて

思いを周りに追いやって

結果、周りを囲む状態になっていたこと

本能的にやっていたのですが

(だから言語化が難しかった)

一部消滅によりなぜかできなくなった

 

今は解説できます

 

思いがほぼ発生していないので

周りに追いやることができなかった

ということです

 

 

周りに追いやる方法は

「私」を中心にして

思いが発生しかけたら

パンと周りに思いをはじく

 

そうすると「私」を中心に

思いが「私」を丸く囲う状態となりました

 

それが今まで言語化していた

という感じでしょうか

 

思いを斬り捨てると

「私」は思いがなくなり

すっきりする感じがするのですが

「私」を覆っている何かがある

と思っていました

 

それは

この斬り捨てた思いのことでした

 

 

人として生きている時

思いは決して無くなりません

 

また人は

思いが無くては存在できません

よって悟りとは

思いがなくなることであるため

人間終了なのです

 

 

だから精進時は

思いを斬り捨てた

と言っても

どうやっても

思いは無くならなかったのですね

 

 

 

 

かつてこのような図を書いたと思いますが

 

「私」を中心に

ぐるっと囲ったすき間

 

このすき間が

斬り捨てて周りに追いやった思いで

これによって「私」が守られていたのです

 

 

真我ではすべてが溶け込んでいますが

この思いによるすき間・膜

によって

真我から

個を存在させることができていたのですね

 

そして思いによって

「私」の世界が創られます

 

各個人

自分の思いで

自分の思いを創造し、経験している

ということになります

 

自分の思いを経験しているのが「私」であり

真我から生まれた「私」なのです

 

 

 

言語化ってすごいですね

当たり前すぎてありのままだったことが

言語化によって

これからの役立つ情報となりました

 

 

らぴ。はこの情報により

今、フィールドを展開中です

 

「私」の思いがあった頃の

フィールド展開は

自我の思いによるものであり

いろいろな思いがすべて含まれていました

 

よって経験する世界も

いろいろな状態が存在していました

 

 

しかし

「私」が無い今は

思いなく

フィールドを展開できています

 

設定すればすぐ

という状態です

 

今、思い無くなんでもできている

からです

 

「私」の思いを使って

現象を起こす状態から

「私」が無い

現象そのものとなっているためです

 

 

よって

展開に障害が無いです

 

かつての思いによる展開は

いろいろな思いが

自覚ない分(無意識)も存在しており

その中で

理想の思いを選択しようとしても

いろいろな思いが存在していますから

障害が結構あったのです

(しかしこのおかげで

激流が起こりますから

精進時は障害は必須です)

 

 

シンプルですが

複雑ですね(笑)

 

 

ちなみに「私」がある時

思いによる展開となりますが

どうすればよいかというと

想像力を使えばよいです

 

よく聞く内容ですね

 

これは事実です

 

想像力により

フィールドを展開しましょう

 

または言葉も使えます

 

言葉がスイッチとなり

その言葉通りの状態を呼び寄せます

 

 

そして思いで創った世界から

人々は恩恵を受けます

 

すでに受けています

 

 

 

悟りとは

思いの膜を突き破り

「私」と真我の

すき間・区別・へだたり

が無くなることです

 

「私」は真我に溶け込み

「私」という個が無くなります

 

「私」を形作っていた思い

 

これが無くなることで

「私」=自我が無くなるのです

 

 

激流が悟りには必要です

 

「私」という

個が存在している状態から

真我に溶け込むには

「私」と真我との隔たりを

無くさなければなりません

 

その隔たりは「思い」でした

 

「私」の在る状態=思いがある状態

なので

隔たりが無くなる

=思いがなくなる

=「私」が無くなる

 

「私」が無くなるのが目標ですが

精進しているのは「私」であり

「私」が無ければ精進できない

 

という矛盾の状態が

展開します

 

それが激流です

 

精進する時

らぴ。が行ったのは集中でした

 

徹底的な集中により

思いが

ある一点に集中します

 

その状態は

広がろうとする思い

外に出ようとする思いに逆らった行動であり

大きな葛藤を生み出します

 

自分の思い・意志と

それに反する動き

 

反する動きが激流となって

「私」の道を邪魔してきます

 

それでも負けずに集中し続けたら

思いの集中点は

限りなく小さくなり

広がろうとする思いが負けて

=「私」を囲っていた思いが負けて

 

集中と広がりで均衡を保っていた

=「私」を存在させていた状態から

 

一気にそのバランスが崩れ

言い換えると

均衡もバランスも無くなり

葛藤もなくなり

集中と拡散の区別が無くなり

=相反する現象が無くなり

 

ついに「私」が消滅するのです

 

 

激流とは

葛藤です

 

「私」が精進するのを邪魔するもの

それが存在するからこそ

激流が起こり

そこを乗りこえるために

強い思いが必要になり

強い思いが発揮できるのです

 

最強の思いは

最強の「私」の存在の主張です

 

「私」が強すぎて

一体何に、誰に主張しているのか

分からなくなりますよ(笑)

 

 

ブログを書いていて

激流の言語化ができそうになったので

書きました

 

長くなりましたが

今日も読んでくださって

ありがとです

 

 

@(*・ω・*)ポッ