真我の状態では

願望を持つことができません

 

なぜなら

真我はすべてを含んでおり

その状態が

すでに存在しているからです

 

 

願望には

時間が存在しています

 

今は叶っていないけど

将来、そうなってほしい

という時に願望を持ちます

 

今そうであったら

願望は持ちませんよね

 

 

真我の状態では

すべてを含んでいるため

全ての時間も超えています

 

叶っていない時や

叶った時の区別が無く

ただ在るのみです

 

そして

すべては既に存在しているため

ただ出会えばよいだけです

 

そしてその出会いに

時間が必要ありません

 

なぜならもうすでに在るからです

 

 

また、そもそも真我は

願うことが無い

 

全ての大元である真我は

願う必要は無く

そうで在るだけです

 

 

言い換えると

真我には思いが無いので

願望が発生しません

 

ただ在るのみで

それが例えて言えば完全体であり

何一つ欠けることなく

完璧なのです

 

常に満たされており

何かを望むことも無い

 

 

 

思いが無い

というのはどういうことかというと

思う「私」という個が無い

ということ

 

「私」はあれこれ思いを巡らせます

 

過去を振り返り

未来を思う

そして今、判断する

 

「私」は

在ることよりも

思うこと、思考することに忙しい

 

これは

「私」がいろいろなものに捉われやすい

ことを意味します

 

そして「私」を忘れること

=我を忘れることが起こります

 

(我を忘れることは

ある意味幸せなことです

気分転換ができるからです

しかし「私」が発達すると

我を忘れることができません

これは悟りの道にとってはよいことです)

 

 

「私」が思い、考える時

常に「私」を忘れることなく

思い、考えることより

思い、考える「私」を中心に生きると

少しずつ

ぶれなくなります

 

そして「私」が発達してきます

 

いろいろな現象のスイッチとなっている「私」

 

「私」が主張し

「私」が思考し

「私」が考え

「私」が行動する

 

この積み重ねにより

「私」が発達します

 

「私」の意志が発達します

 

それに伴い

「私」の存在に反発する存在も

発達します

 

なぜなら

全体である真我から発生した「私」は

「私」を存在させるために

分離という現象が

必要となるからです

 

葛藤がその例の一つです

 

「私」が存在すると

葛藤が起こります

 

葛藤は

「私」の思いと

反対方向の思いです

 

これが分離の現象となります

 

「私」の存在に

「私」と反対方向の存在も必要なのですね

 

よって

葛藤があるから「私」が存在できるのです

 

そして「私」が無くなれば葛藤も無くなる

葛藤が無ければ「私」も無い

のです

 

「私」の発達により

「私」の思いが強くなり

同時に葛藤も強くなる

 

「私」の意志が最高を極めた時

葛藤も最高潮になり

お互いが反対方向に最大に引っ張り合うと

 

限界を超えた時

「私」と葛藤のつながりが

切れてしまいます

 

これはどういうことかというと

葛藤によって存在していた「私」が

葛藤から解放されたことにより

お互いが存在できなくなり

真我に溶けて消えてしまうのです

 

真我の状態に帰る

 

 

「私」は真我の海で

「私」を主張してきました

 

真我の海で

葛藤=思いという浮き輪で

「私」は

真我の海面に浮いていました

 

しかし葛藤=思いと「私」のつながりが無くなると

「私」は浮くことができなくなり

真我の海へ沈み

真我と一体化するのです

 

そして葛藤=思いは

「私」が存在しなければ

存在しないので

無くなるのです

 

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

 

らぴ。のかつての経験を元に

いつも言語化しています

 

悟りはいろいろな言語化ができますね

 

 

 

「私」とは不思議な存在です

 

「私」が存在するためには

反対の思いを存在させる必要があります

 

 

なぜ「私」は発生したのでしょうか

 

この世に生まれた時

この世の先輩方には思いがありました

 

すでに

思いにより「私」が存在していることが

普通である世に生まれました

 

 

この世に生まれたばかりの時は

たた在るのみでした

 

しかしこの世に存在するために

「私」が必要な環境に生まれたため

思いを発達させなければなりませんでした

 

これが価値観でありジャッジでした

 

価値観やジャッジがあることが普通であるこの世で

生きていくためにそれらが必要

と学ぶのです

 

らぴ。は自我が発生した時を

はっきり覚えています

 

それは自分の存在に

疑問を問いかけるものであり

自分をジャッジするものでした

 

ありのままで存在すること

それではだめだ

と思い始めた時でした

 

変わらなくては

と思った時でした