この世での現象化には

「私」が必須です

 

真我は

何もしていないし

何も起こしません

在るのみです

 

そしてそれは

全ての大元で

物質化の必要がない

思いが無い

よって

物質の無い状態です

 

この境地には

意味もありません

意味を必要としません

 

よって幸せな人生において

この境地になることは

必要ないと思われます

 

 

 

ちょっと抽象的な表現なのですが

 

「私」が覚醒している状態は

当然「私」が在る状態なのですが

コツがあって

真我からびょーんと離れることで

(離れると言っても距離が離れるという意味で

繋がってはいます)

「私」がしっかりとしてきます

 

この状態は

「私」と真我の良い関係状態で

例えて言えば生命が起こる

という感じです

 

そう、生命を失う方向ではなく

生命があふれる方向となります

 

なぜびょーんと離れると

生命があふれる=やってくるのかというと

離れることによって

濃度の濃さに変化が出て

「私」は例えて言えば濃度が濃いので

真我から生命が流れてくるのです

 

真我に溶けた状態では

濃さに違いが無いので

何の変化もありません

 

そして個がとけて

「私」は無くなります

 

「私」の存在は

濃淡を創り

動きを創るのですね

 

その動きとは

生命の動きであり

真我は何もしていないけど

真我の流れが起きる

という感じでしょうか?

 

真我に溶けてしまうと

何も起こらないし

何もできません

 

大いなる真我ですが

近すぎては

さらに溶け込んでしまっては

「私」が恩恵というものを受けることができないのです

(ちなみに溶け込んでしまっていたら

恩恵を受ける「私」自体、存在できません)

 

言い換えると

物質化するのは

真我と一体化した状態ではなく

真我から少し離れたところです

 

一体化してしまって

「私」が無くなってしまうからです

 

この世での現象化・物質化には

「私」が必須なのです

 

 

 

真我は人の数だけあるのではなく

例えて言えば唯一です

 

その真我から

各個が生まれているので

各個は大元では同じで

繋がっていると言えますね

 

真我は何も語りません

ただ在るだけですが

真我から発生した代弁者の「私」が

それを語ることができるのです

 

ちなみに真我は

語ってほしいなんて

全く思っていませんけども(笑)

 


「私」の可能性は無限です

 

※今まで悟った状態の例えとして

『私』という言葉を使っていましたが

訂正します

『私』=覚醒した「私」

と言語化した方が近いです

 

 

全ての人に存在する「私」

その「私」が覚醒するのですが

覚醒とは

真我との繋がりが揺るぎない状態の「私」

とも言い換えることができます

 


そしてこの言語化により

覚醒法を導くことができました

 

次の記事に続きます

 

@(*・ω・*)ポッ