かつてのらぴ。は

困難を克服するために

立ち向かったり

 

新しく創造する方法を探すために

あえて今まであるものを捨てて

苦の道を歩いたり

 

 

このような生き方が

思いきり生きることであり

後悔ない生き方でした

 

これはかつてのらぴ。にとって

です

 

この生き方に付随するものとして

厳しい人たちが

らぴ。を悟りに導きました

 

らぴ。には

らぴ。に対して

人とも思わない存在がいた

ということなのですね

 

らぴ。自身が

自分の思いを捨てていたからです

 

このような状況でも

自分の思いを捨てていたので

当時は何も思うことなく

日々を過ごしておりました(!)

 

 

自分に対して

厳しい人がいたら

ある意味チャンスです

 

 

ここで提案です

 

 

厳しい人や環境があったら

離れましょう

 

疑問や違和感があったら

それは正解なので

そこから離れましょう

 

かつてのらぴ。は

思いを捨てていたので

疑問や違和感さえも捨てており

気づけませんでした

(だから苦に飛び込めた)

 

一般的に誰もが

思いや判断力を持たれていると思うので

それに従って正解です

 

そしてその判断の元とするのが

「完璧である」

ですよ

 

かつてのらぴ。は

自己肯定が無く

酷いことされても気づけない

ということがありました

(当時はほんとに気づけていません)

 

それがあったからこその今ですが

大切な人々に

その経験をしていただきたくない

 

 

まず

完璧である

と宣言した後の判断は完璧ですので

そう宣言し

嫌なことから離れてください

 

我慢必要ない

苦必要ない

修業必要ない

 

 

苦を渡り切ったらぴ。自身は

全く後悔しておりません

 

しかし過去のらぴ。の思うと

、、、

いや、、、

何も思わないのですが( ̄▽ ̄;)

(どへぇ~(笑)

 

 

 

我慢することなく

嫌なことする必要なく

完璧にあることができます

 

 

楽しちゃってよいですよ

 

簡単に幸せになっちゃってよいのです

 

毎日を穏やかに優しく生きること

 

そうであってはいけないなんて

いつからそうなったのでしょうか?

 

毎日を穏やかに優しく生きること

 

このように普通に生きている方が

います

 

かつてのらぴ。は

それを自身に許可しませんでした

 

 

今は「あり」としています

 

 

かつてのらぴ。については

今の環境に名残があります

 

だからこそわかることがあり

これからの方法性が示されます

 

 

苦行なんて必要ない

人のためなんて必要ない

 

自分を大切にすることは

周りをも大切にすることになります

 

なぜなら

自分に酷いことをする人が

いなくなるからなのです

 

酷いことをしなければならない人を

創り出す必要が無くなるからです

 

 

自分を蔑ろにすれば

まさしく

蔑ろにする状況が起こります

 

自分を捨てたなら

どのような状況になると

想像できますでしょうか

 

らぴ。それを駆け抜けて

今の状態です

 

 

 

なぜ悟りに憧れる人がいるのか

 

悟りが苦からの解放となる

とわかっているからです

 

ではそもそも

苦が無かったら?

 

悟りは必要なく

もちろん激流・葛藤も必要ない

 

 

子供の頃の自分が正解です

 

大好きな自分が中心になって

広がる大好きな世界

 

努力も苦も必要なかった

 

必要無いのです

 

 

今日も完璧であります

 

 

共に完璧であります

 

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

もう苦に立ち向かわなくてよいのです

 

らぴ。が

いろいろ試し、実験し

皆様の代わりに経験し

それが必要ないと答えを出しましたので

皆さまは試す必要は無く

安心して幸せになってよいのです

 

楽な道は

楽しい道

 

大変だと思う道

それは大変だと思っているだけであり

実は楽に歩けたら!?

 

そして実は

道すら必要なく

ただ『在る』だけでよいのです

 

すべてに宣言します

 

完璧である

 

 

 

ちなみにかつては

悟りの道を書いていた記事が

多々あります

 

悟りの道についての話は

単なる物語と読んでいただきたいっす