らぴ。の第一実践

 

「行動する時は

自分の思いを捨てて

なんでも心から喜んでしよう」

 

の喜んで

についてですが

 

皆さまご存知の通り

喜んで!と言うと

それと反対の感情も存在しています

 

それでも反対の感情を斬り捨て

喜んで行動すること

 

これはある意味

緊張をもたらしました

 

言い換えると

無理やり

という感じでしょうか

 

しかし当時は

自分の思いを捨てていたため

無理やり感を感じることなく

喜んで!とやっていました

 

周りから見ると

変だった時もあるかもしれません

 

(;・∀・)

 

それでも当時

さらに自分の思い、ジャッジを斬り捨てていたため

その思いにさえ気づけず

ひたすら「喜んで!」をやっていました

 

 

また第三の実践の

今すぐ常に幸せであること

も不完全な実践でした

 

上記の理由と同じ

 

幸せ!と言えば

その反対の感情も存在します

 

そのうえで幸せを選択し続けました

 

 

自我がある時は

必ず相対的現象があるため

緊張が起こります

 

これはある意味必要なものです

 

その緊張のおかげで

強い意志が育てられます

 

 

自我がある場合

悟るチャンスがあるというのは

このような緊張があるからこそ

 

不完全な実践だからこそなのです

 

 

もし完璧な実践であれば

緊張は起こりません

 

そして自我がある場合

完璧な実践はできません

 

 

悟って初めて

完全になれます

 

相対的現象が

消滅し

絶対的になるからです

 

よって悟ると

「喜んで!」ができません

 

体に名残があって

かつて心から喜んで!という

胸のあたりから喜んでの感情を起こしていたので

そのふりは何となくできるのですが

ふりであり

できないのですね

 

悟ると相対的現象がある

不完全な感情は

表現できないのです

 

よって悟っている状態を

例えて言えば

絶対的幸せな状態(相対的ではない)

と言ったこともありますが

別の例えでは

幸せすらも消滅した

と言っています

 

 

そこでこの絶対的幸せと例えられる状態を

どう表現すればよいか

 

『私』

という言葉です

 

当たり前に存在していたそれです

 

 

全ての人に当たり前にあるもの

 

しかし

当たり前すぎて気づけない

 

らぴ。の場合

行動している自分が無くなっても

在ったもの

 

一生懸命行動している「私」に隠れて

しかし常にあったもの

 

当時はさらなる私と表現しておりました

 

ずっと前から常に存在しているもの

 

当たり前に在った『私』ですが

なぜその『私』は何も言ってこなかったのだろう

なぜただ在るのみで何もしていなかったのだろう

と思いました

 

何も言わず

ただただ在る『私』は

意味も目的もなく

ただ在るのでした

 

それは減りもせず増えもしない

感情に揺らぐこともなく

揺るぎなく

ただただ在るのみでした

 

 

 

うまく言葉にできておりませんが

読んでくださってありがとうです

 

@(*・ω・*)ポッ