究極の無条件の

 

何もなくて幸せ

 

状態は

幸せになるのに何も必要としません

 

 

しかし、一般的には

 

~だから幸せ

 

という幸せが多いようです。

 

 

逆に

 

~がなかったら幸せでない

 

ということにもなります

 

 

 

そしてその~が永遠に在ればよいのですが

存在すれば

永遠に変わらないものなんてなく

存在すれば必ず

それは移り変わって変化していきます

 

それを知っていたため

何かに頼る幸せではなく

何もなくても幸せを求めました

 

 

何もなくても幸せであれば

幸せに条件がないので

どんな時も幸せです

 

何もないので

移り変わることもない

 

 

 

こんな私なので

人としての幸せについては

鈍感です

(一般的に幸せじゃない状況でも

幸せでいられた実践時。

一般的な幸せを選択することを

避けていた気配もありました

そもそも選択することを良しとしていなくて

なんでも幸せを貫いていました

 

この頃は意志で貫いていた感じで

今の状況とは全く違いますよ)

 

 

なにもなくても幸せを目指したのは

私は究極は求めても得ることができないであろう

という気持ちがあったからでした

 

これが欲しい→手に入る→幸せ

 

例えばこういう幸せは

叶えられないと思っていましたし

叶ったとしても続かないであろうと。

 

求めることができなかったことと

人に頼ることができなかったことと

甘えることができなかったこと

(性格?)

が関係しているかもしれません

 

なんでも自分の力でがんばらなければ、、

 

こういった状態だったので

自分の願いは

 

自分の意志でがんばることと

 

何も求める必要もない

無条件の幸せ

 

でした。

 

もし、ちょこちょこ願いが叶っていたら

ここまでまっすぐ道を進めなかったかもしれません

 

そう

私は自分を追い込むことが得意でした(笑)

叶うことも捨てていましたから

(修行僧(笑)

 

 

そして結果的に

何もなくて幸せな状態になれたのですが

 

さて

 

何もなくて幸せな状態が

幸せなことなのでしょうか

 

もちろん幸せなのですが(笑)

 

さらに誰にも共通することについていうなら

 

自分の望んだことが実現した

 

ということでしょうか

 

 

 

そう、幸せな人生とは

自分の理想の世界を実現すること

 

ではないでしょうか

 

 

 

自分の理想の世界を妥協することなく

突き進むこと

 

自分の人生を誰かに預けたり

誰かのせいにするのではなく

自分を生きるということ

 

自分の人生は自分の選択の責任である

 

ということ

 

そしてそれを自分を責める材料にするのではなく

さらなる道を進む糧にしていくということ

 

 

誰もが自分が納得できる人生でありますよう

 

おいのりするのら

 

 

@(*・ω・*)ポッ

 

 

なんだか結果的になんですが

私は悟りを求めていたんだね

 

悟りというものが

どういうものか

全く知らなかったのに(笑)

 

釈迦とか全く興味ありませんでした

 

TK氏のおかげで一部を知ることができましたが。

 

よって釈迦なんて知らなくても大丈夫ですよ

 

みなさまの方が釈迦のことに詳しいかも

宗教の専門用語とかほとんどわかりません(笑)

 

あと私の性格なんですが

何かが起こったら

「なぜだろう」

と思うことが多かったです。

(道を歩き始める前)

 

そしてよく考えて

それに対して対策を立てて

自分のふるまいに活かしていました

 

それが正しかったかどうかは

分かりませんが

少なくとも

今の状態になるのには必須だった気がします

 

しっかり考えて

決めたらそれを貫く

 

そんな感じでした

 

自分が決めたことについては

全く疑うことがなかったです