お久しぶりです!
皆様お元気ですか?
私は相変わらずです!
ひたすら精進していた頃
私は悟りというものに興味を持ったことがなく
よって悟りたいとは思っていませんでした。
私の場合
能力開発のため精進していました(笑)
悟りと言えば
なんだか静かなイメージがあり
しかし、私が求めていたのはそれではなく
能力開発でした。
悟りではものたりない!
悟りはいらない!
なんて、、、
、、、めちゃめちゃ自我が強かったです!(笑)
かつて私には何の力もなかったです。
だから
大切な人を確実に守れる力が
欲しいと思っていました
、、しかし、今思うと
一体どんな能力が欲しくて頑張ったのか、、、
具体的に、こういう力が欲しいという気持ちは
全くなかったです。
ただ、
巷で言われている
能力開発を極めれば何かあるだろう、
くらい?
(変だけど、そうなんですね)
私の場合
(何度も書いたことがありますが)
例えば目標を決めて
その目標を達成するためにどうしたらいいのか考え
どうするかを決めたら
目標すら忘れて
ひたすら精進することができました。
これは私が何年もかけて実践していた
「自分を捨てて=自分の願望=目標を捨てて」
が役に立った恩恵でした。
(その頃、恩恵を受けている自覚は
もちろんありませんでした。
この自覚も精進には邪魔なものです。)
私は決めたことを
それを続ければこうなるとか、
これからどうなるのかを夢見ることなく
どういうものを得ることかを想像することなく
ただただひたすらし続けました。
そして今に至ります。
皆様もご存知だと思いますが
悟りは目指してもたどりつけません。
よって悟ろうとせず、
今ある問題にしっかりと取り組み
ひたすら頑張ることが近道でしょう。
最、最短のね!
人のための能力開発もありかもね。
私はそうでした!
さて、今の私の能力はなんでしょう。
「力(能力)」が必要ではなくなったこと、かな。
私は人を守る力はないけど
守ることができます
私は祝福する力はないですが
祝福以上の祝福をすることができます
力はないけど
そうすることができる
力(能力)を根源とする必要がなくなったということです。
うまく伝わるかな
だからなくなってしまう力がもともと必要なく
衰える能力もそもそもなく
よって無くなる心配が無い。
しかし、そうすることができる。
永遠という時間を超えて
例えて言えば永遠にそうであります。
何もなくなることはない
(例えですよ)
@(*・ω・*)ポッ
また別の言い方だと
かつて私はなくならない永遠のものが欲しかったです。
それをついに得ることなく得ました。
例えて言えば
永遠のものを得たのではなく
永遠そのものになったので
得る必要もなく
そうであるから
永遠にそうなのです。