最近おもうこと


どん底の人生を送って

今、ようやく平穏に淡々と生きる毎日


これが望みで「幸せ」とおもっていました


だけど

この「幸せ」って思うのもやめてみたんです


すると


もっと楽な気持ちになれることがわかりました




不幸  幸せ




人生の中でどちらがいいのか?と問えば

だれでも「幸せ」がいい訳で


そして「幸せ」じゃなきゃ「いけない」とも思えてくる



不幸じゃダメ



そしてその「不幸」とやらは

どうやら自分でそう思い込んでいるだけらしいです


気分の問題だ、ということ



言われてみると確かにそうなんです



たまに端から「不幸だ」といわれることがありましたが(今考えると、そんな事言ってくる人が側にいたことが恐ろしいし不幸だったよ笑笑)


「不幸」の多くは自分でそう思っていることなのです

自分でそのように色付けしている



そして



「幸せ」も同様に自分で色付けできるとおもうのです



私は家で一人でゆったり過ごすことが大好き

お出掛けも一人がいい


友人とは数ヵ月に1度お話ができればいい


イベントなど大勢集まるところには参加したくない




これ、端から見たら

ひきこもりで地味な人な訳です


そして「かわいそう」「さびしそう」などなど

不幸なようにも見えますよね?


実際、私はそういう人を見て「かわいそう」とおもってました


だけど今の私にはこれが一番楽で心地よい

幸福度が高いのです


あの時、「かわいそう」とおもっていた人に自分はなったけど

不幸だとはおもっていません


そして、そんな風に人様を見ていた自分に嫌悪感とその方への贖罪の気持ちが今はあります

ホント、失礼な人だったと思います










この世に産まれて

不幸も幸せも自分が色付けしていることなのです



だから


どの出来事も不幸でも幸せでもない

そもそも不幸も幸せなんていうものも存在していない




そう思ったら楽です




今、平穏な日々を送っていますが

この日々がまたいつか失われるんじゃないか?


こうした不安感に襲われることがたまにあります




多分、いつかは失われるんですよ


失われた時

消失感や悲壮感がでると思います


それを感じた時に更に「不幸」とおもうから辛くなる





なので


起こる出来事全てに何の感情も足さなければ

そこに何の「問題」も起きない



そうなると無感情で味気ない人生にも思えますが



私のように

割りと感受性が強いタイプはそう意識するぐらいで丁度良い


特に


不幸幸せ判定については中庸であったほうが良いとおもう



どこかで「幸せ」じゃなきゃいけないと思っている

幸せであり続けなきゃいけない



不幸でもいいんですよ、そんなの


不幸でも大丈夫


不幸も幸せもこの世には存在していないんだから




幸せ幸せって

そればっかり目指し、守る


人間は幸せ中毒