中国古典に学ぶ
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他人のアラはよく見える

「人は至愚なりと雖(いえど)も、人を責むれば則ち明らかなり。聡明ありと雖も、己を怨(じょ)すれば則ち昏(くら)し。」(小学)

至って愚かな人であっても、他人を責めるときには、その悪いところがよく見える。反対にとても賢い人でさえも、自らの悪いところは見えなくなってしまう。


他人のアラはよく見える・・・人のアラばかり指摘していると必ず自分に返ってきます。

「あんたは出来ていないではないか!!」

自分のアラは見えていないのです。言われた人にはあなたのアラはよく見えています。


「自分に厳しく、人には寛容に」

これを心がけて丁度良いのです。

自分には厳しく、人には寛容に

「躬自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる」(論語)


人には厳しく、自分に甘い・・・そんな人を誰が信用するでしょうか。

ましてはそれが、会社の上司や指導者であったらどうでしょうか。

そんな人について行きたいとは誰も思いません、


自分に厳しく、人に寛容である為には、器の大きさや心の広さが必要であり、容易な事ではありません。

人は誰でも易きに流れがちであり、人に厳しく、自分に甘くなりがちであるのは仕方ないとは思われますが、

この言葉を心に刻んで自らを高めていかなくてはいけません。


ただ、人に寛容でありすぎるのも考えものです。

厳しくなくてはいけない場合もありますが、自らにも厳しい人が、愛情を持って厳しくしている場合には怨みを買う事は無いのではないでしょうか。

温故知新

「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師たるべし」(論語)


このブログの趣旨でもあります。

「歴史は繰り返す」とも言われます。

歴史に全く同じ事は起こらないかもしれませんが、人類は同じ様な過ちを繰り返し、同じ様な事で躓き、悩んできているのではないでしょうか。


祖先が残してくれた言葉を知り、役立てて行かなくては勿体ない様に思います。

また我々日本人にとって、漢字で書かれている中国の言葉は理解しやすいように思います。

すべての人がすべての言葉を受け入れ実践する必要は無いと思いますが、腑に落ちる言葉は日々の生活の中で実践してみる価値はあると思います。


このブログでは少なくとも日常生活や仕事の上で役に立ちそうな言葉を取り上げてみたいと思います。

春秋に義戦なし(孟子)

周の権力が衰え、沢山の諸侯が戦争を繰り広げた春秋時代には「義戦」つまり大義名分がある戦いは無かった、と言う意味です。

それ程年中戦争が、あちらこちらで繰り広げられていたのだと思われます。


「大義名分」の無い戦いは、他の国や人々の賛同を得ることが出来ません。

「大義名分」の無い戦いを起こす国や人は信用を失い、孤立してしまうことになります。

孤立してしまえば、国家も人も存続の危機に陥ってしまいます。

ですから後の時代では「大義名分」を掲げて戦争が始まる事になります。


ただ、個人のレベルで言えば自分が正しければ相手を痛めつけても良いのでしょうか?

それは違うと思います。

自分が正しくても相手を痛めつけるのは程々にした方が良いと思われます。

宋でないと「窮鼠かえって猫をかむ」の状態に陥ってしまいます。