完璧主義者っていうと、マイナスなイメージであったり、精神を病んでいる人ってイメージがある。

私は、今まで何回か「完璧主義者だね~(笑)」と言われたことがある。私自身も、自分が完璧主義の傾向はあると認めている。何かを作り上げると作業だったり、発表するものだったりがあったとき、細部にこだわって、もっと良くなるはず、もっと改善できる点があるはずと要求が高い。集団で行動していると、私みたいなものは周りにとって迷惑なのだ。それを知っているから、集団で作業するときはだいぶいい加減な自分を演じている。平和に生きるための今のところの私なりの知恵なのだ。しかし、自分一人の責任で何かをなそうとしている時は、完璧主義者の傾向が強い。それは悪いことなのだろうか。私は、自分の志は他言しないようにしている。「完璧主義者だね~(笑)」「そんなに頑張ってどうすんの?」「現実見ろよ~」というバカにする声を聞きたくないからだ。こういう周囲の雑音を聞き流せるようになるのも、人生の目標だ。

なんで急にこんな話をしてるかというと、ついさっき「完璧主義者だね」と笑われたからだ。

無性に腹が立っている。


完璧主義者を笑っているが、今の生活の豊かさは、各分野で骨身を削って「もっといいものができる」「こんな程度じゃ何得できない!!」とたくさんの完璧主義者が努力した結果である。「もっと力抜けよ」「適当でいいんだよ」「そんなに頑張らなくていいんだよ」「楽しめればいいんだよ」などと脱力がブームなのか知らんが、みんなが適当にやってたら、引き出しの中の鋏はこんな鋭いキレ味をもってないし、通勤電車も時間どおりには来ないし、郵便の誤送も頻繁にあるだろう。このちっぽけな日本がこれだけの国になれたのは、完璧な仕事しようとする人間が各分野で努力した結果である。お気楽に生きている国ではここまでこれなかったのだ。何が言いたいかというと、完璧主義を笑い物にする奴らは、日々、完璧主義者の恩恵を受けているということを知れということ。笑い物にするのはおかしいということ、、。

と、さっきまで考えていた。しかし、俺が腹を立てている原因はもっと違う所にあったと時間がたって気付いてきた。俺が腹が立っていたのは、「自分が完璧主義者である」と正確に伝えられなかったからだ。相手は日本人ではないので、英語でそれをうまく伝えられなかったのだ。今気付いたが、「私」で努めて冷静にしていたつもりがいつの間にか「俺」になってることからもわかるが、俺は腹を立てているし、この初ブログはそんな気持ちで一気にキーボートを゙打って書いている。

話を戻すと、つまり、単純に「完璧主義者=病的」というカテに俺をポイっと入れて笑った奴に、正確に俺のポリシーを伝えられなかったことに腹を立てているのだ。俺は、「完璧主義」であることでいろいろ失敗ばかりしてきて、このままではマズイと思って、いい加減な奴を「完璧に」演じようとしたりして、にっちもさっちもいかなくなって、心も病んでどうしようもなくなった時期があった。それでもあきらめずに自分のことや人生について勉強してきて、今では「完璧主義者」であることをやめるつもりはないし、それどころかこの性格を生かして幸せになれると信じている。

どういうことか、結論は「完璧になるポイントを変えた」だけである。どこからどこへ変えたか。それは、「結果」から「過程=プロセス」に完璧になるポイントをシフトしただけだ。この違いは大きかった。

結果は、どんな努力しようが不確定な要素が大部分を占めるので成功するとは限らない。むしろうまくいかない方が多いわけだ。そんな不安定なものに、完璧を求めたら精神の破たんは目に見えている。

「プロセス」はどうか。これは不確定な要素がない。つまり、自分が必ず出来ること、出来る準備をリストに書いて、それを完璧にやるだけだ。そうすれば、結果が出る前にもう目的は達成しているのである。結果はおまけみたいなもので、結果は良いに越したことはないが、悪かったとしても、それは俺のせいではなく不確定な要素のせいなのだ。だから自分を責める必要がまったくない。

「そんなことはない。失敗はやはりお前のせいだと」思うだろうか。

いや、思わない。俺はその時点出来うる限りのことを文字通り完璧にしたのだから、もし準備が足りなかったとしたら、それをいい経験にして次の機会に生かせばいいだけだ。


こんなことを言いたかったのだが、まだ俺の語学力では無理だった。

「完璧主義者ね~」と笑われた時に、「結果」に完璧を求めていた昔の自分に戻ったような気がしたのだ。

今だいぶ冷静になってきた。俺は完璧主義者だ。しかしそれはプロセスついてだ。これはおれの長所だ。

完璧主義者は、その性格を恥じる必要はない。完璧になるポイントをプロセスにうつして、結果は神のみぞ知るってスタンスで生きれば、ストレスもかなり小さくなるし、なによりも向上心が強いのだから仕事や勉強で成功するはず。


俺の周りの「非完璧主義者」が懸念するような、完璧主義者の傾向は今の俺にはない。


なぜなら、俺は自分と同じもの、完成度や達成を相手に求めることは最低のことだと思っている。

俺は自由がこの世で一番価値のあることだと思っているから、相手の自由は大切にしなければならないと思っている。


人は変われない。変わる必要もない。俺は死ぬまで完璧主義だ。

人は理想とするほかの誰かさんに変わることはできない。ただ努力して「成長」することができるのだ。

その成長を変化というのなら、人は変われるといえる。


このことを教えてくれたあの方に感謝。