自分に許せない人がいたとしても、何が何でも許さなければならない道理はありません。
とくに、現代では、自分の選択は自分でするべきだという意識はみんな高い。
実際、自分が許せないなら、「自分が」許さないのは当然です。
でも、たとえ自分が許さなくても、それは置いておくことができる。
自分がいつ何をすべきかは、あくまで自分で決定すればよい。
社会の側の動きと、自分の側からの動きは、かならずしも一致しているわけではないし、理由もなく同一なものだと思い込むのも危険です。
社会の側のもつ理由とは、あくまで社会の側の動きです。
それにうまく接するチャンスができるまでは、自分からの要求ばかりに頭を使うべきでない。
逆に自分の方がわからず屋になってしまうからです。
チャンスはチャンスとして作らねばならない。
それは、社会の側からの視点を貰って作って行くものです。
だから、逆ピラミッドでその視点も貰えばいいのです。