~究極コミュニケーション論~
リアルプレゼント 第8回
【いじめなどに絶対負けない知恵と技術】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「リアルプレゼント」は、私たちの世界を変えるためのもの。
この究極のコミュニケーション力に通じた人は、世界を変えられる。
もうあなたはひとりではありませんし、例えひとりでも戦える!!
これからは、何をすれば良いか悩まなくて済むし、関わっても意味の無いいじめなどを苦にする時間もいらない。
そうなってもらうために、究極のコミュニケーション力を伝えたい。
これは、見せかけやきれいごとに終わる類ではなく本当にあなたを救う、現実の贈り物。
それが究極コミュニケーションを伝えるリアルプレゼントです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
悪意対策に速攻の基本力
いじめや差別的態度でものを言ってくる人に対する、決定的な対処法や言い返しの言葉はないとされていますが、決してないわけではありません。
その始まりの方法としては、悪意に対する対処法として何人かの専門家がすでに例に挙げている「オーム返し」を使う方法もありますが、これだけでは、むしろ逆にことを荒立ててしまう結果にもなりかねません。
ズルい知恵の回る卑怯な人は、「私は、仕事のことでまじめに話しをしてあげているのに!…」などという、事実としてはまるで反対のことをまくし立てて、なおさら卑怯な手立てで悪質な罠に嵌めるようなマネに出てくる人もいるからです。
こういう相手は、自分から悪意をぶつけておいて、その原因や後始末の責任までも、いじめた人にお仕着せるのを当たり前にして来る。
ようは、いじめている者ほど、いじめに対する自覚がない。その自覚ができないように生きているからです。
いじめの主な武器は、「ズル」さです。
ズルさは、人に甘えられないところを甘えてやろうとする思惑に動機の正体を持っています。
そして、こうした生き方や在り方では、いかにもちゃんとすべきことはできているかのような、「見せかけの態度」を取って、そこを自分を隠す壁に使いながら、隠した本当の自分の狙いを叶えてやろうとする類の、汚いやり方でしか生きることができないという信念を自分の中に蓄積することになるし、実際にそういう人たちを見ていると、ズルさなしでは自分は生きられないものと確信してしまっているようです。
ようは、ズルい人たちというのは、いかに自分を隠す壁を作って、それを盾にいかに立ち回れるかを考えて、そこがカギとなって、ズルさの旨みを可能としている。
実は、いじめの人は、ここにかなりの労力を使っていて、本当にわかるべきことはほとんどわかっていません。
その意味では、楽な生き方というより、やはり手抜きな生き方です。
結果から言えば、自分の人生に手を抜いていて良いことは何もありません。
ただ、こういう人たちに「オーム返し」の対処を使うと、逆に自分のしている普段からの不実さ不誠実さという本来の後ろめたさを、ここぞとばかりにいじめたい相手のものとして、本気でなすりつけ出して来ることが簡単に予想されます。
こういう人たちは、たいていがとことん自分に無自覚であり無責任です。
ただ逆に、自分のやっていることを守ります。見せかけ上の言い分を守らねばならないからです。
ようするに、何を見ていたか、焦点を当てている部分がまるで違うわけです。
だから、こういう人たちと話しをしようとしても、まるで上滑りの見かけだけの話し合いで終わってしまって、何も実のある会話はできないのです。
彼らは「見せかけ」でしか話しができないからです。
人生に視点を移せば、これだけでも大損だとわかる。
決して、こういう人たちのマネはしてはいけないと言える由縁です。
でも、そうだからこそ、彼らは、自分たちの方こそ、うまくやっている側だと見せかけたがる。
その姿は、生きるのには怠けているのに、すごい執着心です。
怠け者ほど、強欲さを出しやすいのは、つまるところ内実を支えるものを自分に持たない空っぽさの由縁でもあるのです。
どれほど執着していようが、こんなものに開け渡せる道はありません。
実は、こうしたことがわかっていると効果があるのがわかるのが、対処法としての「オーム返し」です。
無論、ただの「オーム返し」を繰り返していてはいけません。
「質問としてのオーム返し」を使うのです。
相手の言ったことを聞き返すことに、相手の責任を正面から聞き返す効果があります。
ズルい人、悪意を平然とするいじめの人には、自覚や責任感はありません。
これがないでは済まされないことを、正しく伝える効果があるのが、「質問」としてのオーム返しです。
文字通り、相手の言ったことを「オーム返し」で受け取ります。
これは、常識的な追認や復唱の意味もあるので、単に「オーム返し」で答えることは、何も無作法ではありません。
問題は、いじめの人は、自分の思い通りにのみ人を動かそうとするので、そこには、明かされざる悪意や迷惑行為のタネがたくさん、あるいは明確に入っているということです。
それに対して、まともに生きるには、これまでも話していたように、「正直」さを使います。
正直さは、事実を武器にします。
いじめの武器は、ただのズルさ。
いじめの人は、中身もないのに必死になって見せかけのズルを考え出さなければなりません。
しかし、正直な人は、何も考えなくても、すべての事実を武器にできます。
強くなるには、正直であればよい。
今までがどうでも、できるところから正直な自分になって行けば良いのです。
正直になることで、何も諦めず、自分のすべてを取り戻すことができるようになる。
ズルさは、すべてを失うだけです。
しかし、ただ安心はできないのも、厳しい現実の表れであり続けます。
相手がただのズルい人間であっても、何かを開け渡してしまえば、それは相手のものになる。
特に、金銭を含めた物理的なものはそうです。
私たちは、当然、心理的な安心感だけで納得すべきではありません。
そして、ズルさとは、本当は手に入らないものを、何とか手に入れてやろうとする、その情熱なのです。
あるいは、間違った執着心と言った方が正しいでしょう。
こうしたものを、まともに相手にする時に、「オーム返し」を質問として使うことで、「それは、どんな意味?!」、「言っていることがよくわからないのだけど、何が言いたいの?!」などと、相手の意をただすことをすべきなのです。
こういう態度を構えれば、ズルい相手は逃げるでしょう。
でも、ズルさしかない相手は、逃げたままでも済まさないでしょう。
自分でも抑えられない執着心があるからです。
でも、こちらこそ、ズルさをただでは済ましません。
徹底して、正直さの陣地により、「質問のオーム返し」をやめてはならないのです。
そして、どちらが正しいか、どちらが聞かれるべき話しか、それがわかるまともな人たちとの関わりを増やして行くのです。
相手は、情熱が尽きれば終わり。
私たちには、正しい関係の未来のすべてがあるのです。
