逆ピラミッドを使うことが、生き方としてはいきなり究極になる。それと言える理由は、客観的に見て誰でもわかって来ることです。
私の世界全体である逆ピラミッドの下で、いつでも、この世界すべてに守られていること。
この世界が味方で居続けること。
すべては、「私」が何もしないことで可能になる。
なぜなら、そのときに「私」は、世界の使命を預かった者として、そこに居るからです。
何もしないだけで。
世界は味方で居るしかありません。そうでなければ、世界は世界自身の裏切り者となってしまう。
実際の「世界」は、人々の集まりです。そして、ルールを破るのは、「人」です。
しかし、その中で「私」がルールを破らなかったら、常に世界の意思と使命で動く「私」は、その代理人としての尊厳と足場を確かにするばかりになるのです。
これは、初めから、その究極の結果がわかり切っていることなので、「やりなさい」ということなのです。