人は責任性の関係線で自分の人生を作ることによって、社会的に覚醒するようになります。
社会的存在としての覚醒にとって、責任性の軸は、覚醒の軸でもあるのです。人は、そのことによって生きることを知るからです。
まだ、責任のある生き方に目覚めていない人にとって、生きることの覚醒はありません。これは、単に生きられることのための位置の獲得に留まるものではなく、生きることの土台がそこにしかないことの、生きることそのことの自発的な覚醒です。すべてが本当はそこにあったことの覚醒です。
・中庸的固定の力学概念
責任性による覚醒で、社会的自己は無限の流動性の中に確かに事実として主体となる。
難しそうに思えるかも知れませんが、ようは責任性の軸線で、確かに自分の社会的位置づけを得て行くことが、社会の循環現象の無限的な流動性力学の中にあっても、「私」の位置づけを固定することになる。
「私」の位置づけは、始めは、「私」にとっても、社会にとっても、そこに責任がない限り、中ぶらりんになります。中ぶらりんのままになるのです。
責任のない中ぶらりんの中に、自発的自覚の発見と固定を可能にするものが責任の軸線であり、これを軸に、自分の生活を作って行くことは、自分にとっても社会にとっても必要となることです。
責任性による位置づけの固定。これが可能にするもの、それは流動性の中の流動性にとっての固定である。
いかにも哲学っぽくなって来ましたが、自らが流動性としての、主体性の構成の枢要概念、それがここにあるのです。
責任性の線により主体性の固定化が可能になった点が主体です。
社会の主体者とは、そこで特有の責任を果たせる者に他ならないからです。
責任性により、社会の中で初めてそれ自体が対象として成立する。それは我々にとってれっきとした認知対象となることを意味します。確実な認知対象とは、それだけの社会的責任を果たせる者や、それを負える者のことに他ならないからです。
これは実にすべての認知対象に対して認められることなのです。
力学構造の固定の意味を知ることにより、私たちは現に私たちが私たちであることを知ることになるのです。