人間が持つ「思考」とは、脳の中枢神経の発達によってそなわった情報把握能力の産物です。その人間は進化の産物なので、脳の階層構造にも進化の系統発生の歴史が構造的にはっきり残っています。
つまり「思考」の働きは、生物が環境に適応する進化の過程で、生存競争に勝ち残るために長い時間をかけて作りあげて来た、生命にとっては生存戦略の武器というわけです。自然の世界では、この競争に敗れると消えて行きます。
得られた情報の掴み方によって生きようとする。それが本来「思考」というわけです。
脳は他の動物にもあるので、この点では他の動物たちも同じでしょう。しかし、人間はこの能力が非常に強い。人間に歯があっても肉食獣の牙には及ばないのと同様に、獣たちの知能では人間には及ばない。結果から言えば、そのお陰で強大な文明を築いて他の動物種を圧倒しています。
そして、人間にとって「思考」が現実化するということがどういう意味を持っているのかは、やはり生物としての「思考」の情報組織としての脳の進化構造的な意味を見ればわかってくることになります。
脳の情報処理構造は脳幹と脊髄という神経系の幹からできています。これと同じものは他の動物にもあって、自分たちが生きる環境に対して生きて行けるように生物自身の体内環境をととのえるようになっている。これが脳の基本機能です。
そして進化の生物的歴史を示すように系統的に各情報処理システムが脳の幹を取り囲み、積み重なるように蓄積され、脳の一番外側にある階層部位が「思考」を司る大脳皮質になっています。
つまり、「思考」は、系統的に見て脳が最後に作りあげる情報処理の最終産物だと言えます。
この「思考」の優秀さによって生きて行けるというわけです。
しかし、「思考」は何を実現しているのか。
・「思考」の生物的法則を基に
構造的に脳の中枢部分にある脳幹反射が、脳の機能の中で一番基本的で重要な役割を負っている。ここがすべての基本、考えることの土台になります。この脳は環境に対して生きようとする生物が何より必要とする能力を担っている。心臓が勝手に動くのも、お腹の調子が勝手にととのうのも、「思考」で制御する以前に脳幹部分がやってくれているからです。逆に「思考」では決してできません。
脳の一番中心で一番大事な部分は、こうした脳幹の働きによっている。
脳の中心は、生きることに根幹的な能力と、そして、生きることの意味を持って感じさせてくる生存中枢機能です。ここから外側の脳へと生きることの意味を各分担機能が感じ取るように繋がって行く。そして、最終地点が「思考」のエリアです。系統的に外側の部分ほど高度な機能を獲得しているようですが、生きるのに一番重要な機能は、やはり内側にあります。
そして、何より重要なことは、この部分が働かせている能力は、考えることではなく、「感じる」ことだということです。
つまり、生きることにとって、何より根幹的な意味を持つのは、「感じる」ことにある。そして、考えることは、自分の感じ方に応えるために働く部位だということです。脳幹は考えません、感じるだけです。ただ、逆に自分の考えによって感じ方に影響を与えることはあるでしょう。それでも感じることから「思考」への流れは変わりません。
考えというのは、考えそのもののためにあるのではなく、自分が生きるのに役立てるためにある最終ツールです。この「思考」が生存環境をととのえ、生きることに役立つことになる。
「思考」が何を実現しているのかは、以上の流れを基本に考えればわかってきます。
「思考」は、生体が環境との間で何をすればいいのかを、自分のためにととのえるものです。
そのことによって、自分が生きられるようにする。また、自分が生きて行けるようにしている。
脳の中心は無意識の部位です。これを意識化する「思考」の脳は、これが逐一「思考」化されるように、今までの記憶も含めて考えます。
すると、自分が生きるのに何をすればいいのかが「思考」として浮かんでくる。基本は、そういう流れです。
生きるのに否定的な考えや、まったく役に立たないような絶望などの感情もありますが、これがあるのも考える以前に、生物としての適応反応があることの証拠でしょう。生物の感じ方には、一つひとつ適応のための意味がある。「今は動かない方がいい」と思うのも、そうしたことの一つでしょう。逆に、急に負けん気になったりもします。それらもすべて、生きるために必要な反応なのです。
自分が生き、それを感じている自分から、考え出す自分。そして、考えている自分の「意識」があること、これが考えるということにとっての一組の図式でしょう。
それがまた感じていることに影響し、考えにも上がってくる。
こうしたことを繰り返すのが、私たちの「思考」です。
こうした一連の図式を私たちの生物的思考法則として知っておくことは、私たち自身の「思考」をスリムにするのに役立ちます。現に私たちの「思考」の働く意味を知ることで、ムダな「思考」の循環におちいらなくて済む。
考えているということは、つまり私たちの環境を私たちのために変えるため、また変えやすくするためにあるのです。
現実にとって、ようは環境にとって、自分はどう動いて行けばいいかを知るためにある。
だから、「思考」にとってそもそも必要なことは、生きるための知恵を見つけたり作り上げたりすることです。しかし、人間個人には限界がある。一人で何ができるかを考えれば、ことは明らかです。
その限界を越えるのが、社会の枠組みというものです。しかし自分一人のために、社会の枠組みを合わせてくれと言っても、社会に動かせるものにも限りがある。
巨大な社会の中にあっても、みんなが適応しようとしている社会では、待っていてもことは中々進まない。やはり人間は自分で生きて行く動物なのです。
そこで、逆ピラミッドの力学を使うことの意味が出てくるのも、これまでお話しした通りです。たとえ、今は見えなくても、その巨大な力の恩恵は必ずやって来る。法則としては、現に客観的なものを使っているからです。
一人でとじ込もっていたり、あまりに独りよがりな考えというものは、自分一人の中では確かに心地いいのでしょうが、現実の環境に接していない「思考」では、やはり、自分の中だけで終わってしまう。
もちろん、自分で自分の気持ちをポジティブにすれば、その分のなにがしかの効果は期待できるでしょうが、個人の気持ちや意識の変革というものは、やはり自分のためだけでなく周りの人やものに影響を与えることで自分にも帰ってきます。そのたびに、自分の「思考」をととのえなおして、あらためて自分の理想にいどもうとします。そのことが、自分の望む環境に繋がった時に、「思考」が実現したと言えるのでしょう。
だから、私は逆ピラミッドの力学を生きる力の基本に据えたいのです。これは、誰でも使える客観的な社会力学の法則だからです。