ドナテッロ展-1 | フィレンツェ暮らしアレコレ

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こんにちは

先日見学したドナテッロ展に関して書かせていただきます。

 展示会のメイン会場はストロッツィ宮殿、第二会場がバルジェッロ美術館です。

 前後する部分も有りますが、大まかにはドナテッロの生涯を追いながら彼の作品と、その作品に影響を受けて制作された他の芸術家の作品を鑑賞するオーソドックスな展示だと思います。

 

最初の区画は1410年前後の作品

大理石のダヴィデ像とドナテッロ(左)とブルネッレスキ(右)の木彫の磔刑のキリストです。

ブルネッレスキがドナテッロの作品を見て、キリストが農夫のようだと評し、後で彫って見せたのが右のブルネッレスキの作品で、この作品を見たドナテッロは愕然として、ブルネッレスキの言わんとしたことを一瞬で理解したと芸術家列伝で書かれています。


(20代のドナテッロ作)


(ブルネッレスキ作)

普段別々の教会のチャペルの中で、遠くからしか見られない作品が間近に、2作品みくらべられ、しかも横からも見られるのは展示会ならではです。


後に60歳前後のドナテッロがブロンズで製作したパドバに有る磔刑


骨格も顔立ちもブルネッレスキ寄りになっています。(展示室はパドバ時代で後の方の展示作品)


次の展示ブースはテラコッタに着彩を施した聖母子が集められていました。

ドナテッロの作品と同時代の作家たちの作品が見比べられます。


そしてその次が1420年代の作品

(ピサのサンマッテオ美術館から聖ロッソレの聖遺骸物入れ)


(サンタクローチェ聖堂から聖ルドビーコ)


(ピサのサンマッテオ美術館から、マザッチョの聖パオロ。ドナテッロの彫刻とマントのひだの表現に類似性が認められる点と、ドナテッロ同様ブルネッレスキから遠近法を学び、他の芸術家に先駆けて遠近法を使い、リアルな骨格の人体表現を絵画の世界にもたらした画家です。27歳で仕事でローマに呼ばれたものの、亡くなってしまい(毒キノコを食べたとも、毒殺されたとも言われています)作品が大変少ない作家です。

こちらは参考までに、サンタマリアノヴェッラ聖堂にあるマザッチョの代表作遠近法や人体の表現の先進性が分かり易いフレスコ画です。



シエナの洗礼堂の洗礼盤から

信仰(左)と希望(右)


次の展示ブースは遠近法に焦点が当てられていました。

(ドナテッロより10歳程若いルカ・デッラ・ロッビアの大理石の浮き彫り作品)


そしてドナテッロの遠近法を駆使して時系列に複数の場面を表現している見事な浮き彫りのブロンズパネルです。

(サロメが洗礼者ヨハネの首を所望し首が運ばれてくる様子です)


そしてカタログやポスターに使われている大理石の浮き彫りの聖母子

聖母の沈んだ静と幼児キリストの無邪気な動の対比が印象的に感じました。


(タンブリンを持つスピリテッロ1429年)


ここから1430年代以降です。

(スピリテッリ1438ごろ)

ドナテッロノスピリテッリに影響を受けたと考えられる作品。

(パオロ・ウッチェッロの聖母子)

この作家の写実から離れた感じと遠近法を独自に進化させて3G効果を狙ったマニアックな画家です。

 ルネサンスにセザンヌ的なことを試みた先進性がある画家とも言えるのですが、一旦評価が下がってしまって近代以降に再評価された画家です。


(アティス1435-40年)


プラートの聖なる帯の説教壇

(ドナテッロとミケロッツォの合作)

二人ともメディチ家の老コジモのお気に入りで、ミケロッツォはメディチリッカルディ宮殿を手がけるなど、建築家として活躍していきます。

今回はここまでにさせていただきます。


 この展示会では、聖母子、スピテッロ(天使)が多く、浮き彫りと遠近法を組み合わせたスティアッチャータと呼ばれるテクニックはドナテッロが開発した技法と言われるだけに、浮き彫り作品がかなり多い印象でした。

 彫刻の分野が絵画に先駆けてルネサンスを推し進めていた事を体感できます。


 彫刻の中でも浮き彫りは絵画に近いので、彫刻に興味のない方も十分楽しんでいただけ、彫刻の魅力を発見するきっかけにもなる展示会なのではないかと思いました。

 ルネサンスの再発見や新しいとされることはほぼほぼドナテッロが先陣を切ってやってしまっていたのだなと、改めて感じさせられました。