ティヴォリと水 | フィレンツェ暮らしアレコレ

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フィレンツェの中心街から郊外に移り住んでマッタリのんびり?
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こんにちは。

気になりつつ先送りにしていたTivoli(ティヴォリ)に1泊二日で行きました。

 ローマからハドリアヌス帝(イタリア語ではアドリーノ)の別荘とエステ家のティヴォリの別荘(共にユネスコ世界遺産)を回るツアーがあるのですが、勉強目的だった為と、ティヴォリの街自体、興味深い見所が他にもあることを知り、1泊必要と判断しました。

 ティヴォリ-ローマ間は電車、バスでの連絡があり、電車駅から旧市街地迄徒歩10分程度です。


小高い丘の上に張り付いたような街で、渓流が街の脇を流れ、豊かな水の恵みを体感できる街です。

 まず最初に訪れた、2005年から公開されているグレゴリオ荘公園はこの街の水資源の豊かさを体感させてくれます。



(グレゴリオ荘公園の滝)

(公園内のローマ遺跡)


(ヴェスタ神殿跡)

この神殿も公園の一部になっています。

初日、街から離れたハドリアヌス帝別荘の観光を終え、ホテルに戻って、お茶を淹れる水を買っていなかったことに気付いたのですが、これだけ勢いよく渓流が流れている水が豊富で、水質にこだわった古代ローマの時代、ヴェスタ(巫女)やヘラクレスの聖域が作られた土地なので、水道水でもお茶が美味しく出るのではと試したところ、お湯を注いだ途端に緑茶の香りが広がり、低温にもかかわらずほのかな苦味も感じられ、イタリアに来て以来水道水で美味しいお茶が淹れられるという、初体験をいたしました。 

 

(爆撃を逃れた古い住居と階段の路地)


(街の中心と大聖堂広場を繋ぐ階段の路地)

街は斜面に築かれているので坂だらけで、歴史的な趣が感じられます。

 第二次世界大戦時、絨毯爆撃を受け、大部分が破壊され、旧市街地の中にも戦後の鉄筋コンクリート構造の味気ない建物がかなり見受けられます。

 戦前は如何にに趣があったかと思うと、18世紀から20世紀初頭のグランドツアー時代、人気の立ち寄り先だったことが納得できます。

(グレゴリオ16世が作らせたこの橋も第二次世界大戦で破壊され、戦後元の姿に再構築された物です。)




(中世の家と呼ばれる1200年代の家)

(プレビシート広場の朝市)


(石積みの古い建物の壁面から覗くローマ時代のものと思しき円柱)


観光案内、ウェブ情報も見つからなかったのですが、vicolo dei ferriという通りにある曰くありげな館。装飾にローマ時代の物らしき円柱やコーニスが見られます。

(大釜の煙突部分のように見える古い石済みが突き出した建物と、街の重要ポイントを繋ぐ階段の道)

(ローマ時代の頭頂飾りが逆さまになって礎石にびっくり)




(古い石畳の坂の街に猫がよく似合う)


(ゴシックの家近くにあるロマネスク様式の聖シルヴェストロ教会)


紀元前1215年、古代ギリシアのコロニーからの街の歴史を誇るかつての呼び名をTibur(ティブル)といい、その名残で今でもティボリの人や物を指す呼び名はtiburtini(o,a)ティブルティーニだそうです。

 折角ティヴォリを訪れるならば、一泊して、長ーい歴史を見続けて来た街と豊かな自然の力を感じていただきたいなと思いました。


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