ボルゴ・サンティ・アポストリのオアシス | フィレンツェ暮らしアレコレ

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フィレンツェの中心街から郊外に移り住んでマッタリのんびり?
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こんにちは

先日市街地に出た時お気に入りの通りの一つのボルゴ・サンティ・アポストリで目が止まったのがこの通りにあるアートスクールの入り口の庭園です。

まだ日中暑く、緑の少ないフィレンツェの旧市街地で、まさにオアシスです。

美術学校なので、彫刻も飾られ、隣のウィンドウには絵画作品が飾られ、ホッとさせられる空間です。


この通りの入り口はサンタトリニタ広場のフェラガモ本店でトルナブォーニ通とベッキオ橋に続くポル・サンタマリア通りを結んでいます。

 

(サンタトリニタ広場から見たボルゴ・サンティ・アポストリ)

(ポル・サンタマリア通りから見たボルゴ・サンティ・アポストリ)ヴェッキオ橋に近い部分は第2時大戦で破壊された為、戦後立て直された部分も少しありますが、中世の面影が強く残る通りです。

壁面いっぱいに商品が飾られた八百屋さん兼お土産やさん、手前のお店はトスカーナの伝統ウール、カセンティーノカセンティーノとは?冬のイタリアンカントリー定番生地カセンティーノというのは、イタリアのトスカーナ地方で織られている伝統的な生地。毛玉状にもじゃもじゃ起毛した見た目が独特で狩猟…リンクroadofstyle.com


で仕立てられた洋服から小物が揃うお店です。独特の風合いの生地でウィンドウを見るのが楽しみです。

カセンティーノというのはアレッツォ県の山間の地域で、古代ローマ時代から良質な木材の産地として知られ、アッシジの聖フランチェスコがスティグマ(磔刑のキリストが受けたものと同じ傷が外的要因を伴わずに現れる)を受けたラ・ヴェルナもこの地域にあります。

https://ja.wikiqube.net/wiki/La_Verna#



ちょっとユニークなのが、このウィンドウの上の大理石のプレートです。

1826年の法令でキアッソ(路地)が閉じられたという表示です。イタリア統一前のハプスブルクの傍系のロレーヌ家によるトスカーナ大公国時代です。(当時の日本なら一時的な木製のお触れ書きで済まされそう)

そして通りの名前になっているロマネスク様式の歴史あるサンティ・アポストリ教会です。

 この教会前広場はかつて洗礼を受ける前に亡くなってしまった乳児の墓地だったことから、リンボ(辺獄)広場と別の名前になっています。古くは教会の真前はサンティ・アポストリ広場と分けて呼ばれていたそうです。

この名称統合は住民のメンタリティの変化の表れの様な気がします。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/辺獄


昔ながらの路地裏に、中世とルネサンスの建造物、さまざまな工房県ショップが有りフィレンツェの街歩きに外せない通りです。