人魚の肉を食ったら、
永遠の命が手に入るという。
それが嘘かまことかは分からないし、
そもそも、
人魚なんて生き物が実在するのかも分からない。
不老不死の薬なんてのも、
かぐや姫の時代、
いや、
きっとそれより前から、
物語られてきている。
田舎の大学病院の、
解剖学研究室の片隅で、
今日の研究内容をまとめ終わり、
帰り支度をしながら白髪の混じり始めた髪をかきあげる。
家に帰っても食料がないことに気づき、
いつもの居酒屋への道を、
もう人気のない道を、
ぼんやりとした頭で歩いていく。
空っぽの胃と空っぽの頭が、
静かな帰り道の闇の中に、
とけこんでいってしまうような感覚に陥る。
明かりがついている店を確認して、
がらら、と、
扉を開ければ、
しわしわの顔の女将が待っている。
いつもより客が多い。
うちの大学の学生と思しき団体で、
若々しいざわめきがその空間を埋めていた。
『お疲れさん、なんだい、その顔。』
『え?なんか変ですか?』
出された燗酒に冷えた手を暖めながら、
口元に笑いをのせて返答する。
『仕事のし過ぎで疲れているんじゃないのかい?
ちゃんと食ってちゃんと寝ないけないよ』
『ありがとう、大丈夫ですよ。
今日は何の魚があるかな』
『今日はわかさぎのてんぷらがあるよ』
『いただきます。
・・・今日はにぎやかですね。』
『学生さんの打ち上げだい。
いいねぇ、若いのは元気がよくて。
まぁ、あんたもまだ若いけどね』
『私はもうおじさんですよ、くたびれた』
『まあ今日は否定しないよ』
ふっふ、と笑い、奥に消えた女将に、
人魚の肉でも注文してやろうかと思ったが、
やめた。
真っ赤な顔をした学生が、
生のジョッキをほったらかして、
未来の医療の課題について対案も出さずに論議している。
三人ほどはもうつぶれて横になっている。
タバコに火を点けながら、
何時間かぶりのニコチンに痺れ、
目を閉じる。
と。
先ほどまで触っていた薬品のにおいが、
鼻から肺に染みついて更には肉や骨にまでも浸潤し、
緑のシートに包まれたこの体が、
切れ味の悪いメスで捌かれる、
そんな空想が一瞬、めぐる。
目を開けると、
手が震えタバコが落ちていることに気づく。
カウンターに黒いこげがついてしまったのを見て、
それを指でもみ消そうと擦るが、
消えるわけもない。
『女将。焦がしてしまったよ、すまない・・・』
『ええよ、こげくらいいっぱいついてるから』
てんぷらを持ってきた女将は、
その足で学生に飲み物を運びに行ってしまった。
時間が足りないと、
若いころは思っていた。
もしも無限に時間があって、
睡眠する必要もない人間になれたなら、
あらゆる知識を吸収し好きなだけ研究に没頭し、
有限な時間しか持たないほかの人間には、
到達し得ない高みまで登り、
見たこともない光景に出会えるだろうと、
そんな期待をしていた。
慢心もいいところだ。
人の平均寿命の半分をとうに過ぎ、
あらゆる衰えを感じる段になり、
永遠の命などというものが、
欲しくなるどころかそらおそろしい。
終わりまでの時間の中で、
慎重に見極めなければならない。
さくさく、
と、わかさぎを食いながら、
小骨を噛み砕く音のリズムに、
二分の一秒の経過を感じ、
若い乾杯の声に、
ちょっと杯をあげて口に運ぶ。
