記事はこちら。2文くらい抜かしあり。赤字=記事の中で、マーカーが引っぱってあって強調されてる部分。
彼は、フィンランドからロシアにやって来て3年で、二流のケメロヴォ”クズバズ”を国の一流クラブへと変え、男子代表チームを率いた。
そして彼は:
・20歳でフィンランドを離れ、5カ国でプレーした(フランス、イタリア、日本、ポーランド、ロシア)-各国で言語を学びながら、キャリアをスタートさせる。
・断続的にロシアに7年住み(カリーニングラードとノヴォシビルスク、ケメロヴォで監督)、自分のものにしたのは -ロシア語はぺらぺら、ボルシチを愛し、新しいチームを率いた;
我々は、Sammelvuoに近づくために、ノヴォゴルスクへ向かった。
ジムから、Tuomasは我々をホテルのロビーへ連れて行き、1時間以上、目覚ましいロシア語でフィンランドへの想い、ロシアへの愛情、コーチング哲学を話してくれた。
(以下、Sammelvuo)
ロシアでの最初の年は、よく覚えているよ -カリーニングラードだ。私のキャリアでベストだったよ。どうやってトレーニングキャンプに来たか覚えている。ちょっと変な場所でね、村だったんだ。どこに行ったんだ? でもすぐに選手たちと友だちになったよ。あの時、ロシアに越して来てなかったら、たぶん今ここにいなかったよ。
私がプレーしていたところ全部で、言葉を学んだ。その国へのリスペクトだ。文化を知りたいし、もっと理解したい。6ヵ国語を得意としていてもね。
私は学校で英語を教えていた -フィンランド人はみんな(英語を)話すんだけどね。ドイツ語のレッスンもあって、少しなら理解できる。スウェーデン語も知っているよ -フィンランドでは第二言語だからね。
初めてフランスに引っ越した時、すぐに本を買ったんだ。他の言語を耳にする時、学ばないなんてあり得ないよ。
フランスの後で、イタリアははるかに簡単だった。フランスでイタリア語の勉強を始めたんだ。夢があったからね -最高峰のバレーボールリーグ、イタリアでプレーすること。そして常に信じていた。そこに迎えられるだろうとね。イタリアで私は、2週間で(イタリア語を)話し始めたんだ!
日本ではもっと難しかったが、そこでもすべてを理解し、パートナーたちと話をしたよ。まだ多くを覚えているよ -ありがとう(thanks)、わかりません(I don't know)、数字も。イチ、ニ、サン、シー、ロク…うん、うん、覚えているな。
私は家庭教師を雇ったことはない、独学だよ。言語の才能かも知れないな -私の息子も軽く教えている。でも1番は才能ではなく、どれだけ、どうにかしてでも上手くやりこなすかだ。私は、とても大きなモチベーションを持っていた。コーチングとは、選手とコミュニケーションを取ること。グループの中で、個別にね。選手に経験があるなら、私は助けなければならない。100%のコンタクトが必要な時に、通訳を通していては、届かないだろう。
ロシア語とイタリア語は、フィンランドにいた頃よりもずっと、今の方が話すよ -いや、本当に!
ロシアでは、1年半後には不自由なく話したよ。今は、(ロシア語を)書くこともできるし、不自由なくニュースを読んで、時々映画を見ている。カリーニングラードと契約した時、次の日すぐテキストを買って、勉強したんだ。初級、セカンドレベル、サードレベル -順々にね。
1番難しいのはシー(シュー)の発音:shin、shi、-sy、-chshi。悪夢みたいだ! この文字の区別が分からないんだ。この文字(テーブルに指でCの文字を書く)と、これ(Uを書く)。もう信じられないよ!
まだちょこちょこミスはする。今はトレーニングで、私は任務を与えたのだが、選手たちはやらなかった。-ああ、伝わってないのか! そしたらキャプテンのイゴール Kobzarが、正しく述べていないよと教えてくれたんだ。監督はミスを恥ずかしがるべきではないと、私は思う。いつも認めるんだ -私が間違っていたと。普通に、私は正直さと真実が大好きだしね。
ロシアにいるのは気に入っているよ;長い間ここにいられるといいなと思っている。でももちろん、故郷がある。私は何よりフィンランド人。でもロシアももう、故郷かな。
ロシアで最初にびっくりさせられたのは、スープ…ボルシチ、あんなおいしいボルシチ。もうどれだけ好きか!
フィンランドにはほぼ1年間帰っていないな。フィンランドからロシアに来て、十分にサウナがない時があるんだ -どの家にもサウナがあるということに慣れているから。夜に(サウナに)行って、リラックスする -それが習慣。フィンランドには、たくさんの湖もあるんだ -18万あって、私は、湖のほとりに腰かけるのが大好きでね。
でも1番神経質な問題はもちろん、子どもたち -遠くにいるから。毎日電話でコミュニケーションを取っているよ。うん。
彼らは、私を訪ねてロシアに来てくれるけど、ここに引っ越させるのは無意味 -息子のアーロンは15歳、彼の生活がある。娘はAurora、12歳で、真剣にフィギュアスケートに時間を費やしているよ。すべてが彼らにとってグッドだと分かれば、私にとって、ワークすることがもっと簡単になるな。
誰かを喜ばせるために働くなら、時間の無駄だ
ロシアナショナルチームの監督のオファーを受けた時、私は疑ったよ。すべてのプローンズ・アンド・コーンズ(長所と短所)を検討した。でもこんなチャンスはレア。人生にはパッと掴み、実行する必要がある瞬間がある -何が起ころうと。私は、時間を無駄にしたくないんだ。なぜなら人生は、一度きりだから。
常に自信を持っているべきだ。人が、なんて君はグッドなんだと君に言う時、それは真実ではない。それから、すべてがバッドだと言う時 -それもだ。真実は、その真ん中だ。
ジョンウッドの”評判ではなく、個性を気にかけろ”という言葉が本当に好きでね。(”評判ではなく、個性を考えろ” Sports.ruより) もし誰かを喜ばせるために働くのなら、私は時間を失っている。
私が監督し始めた頃 -道筋もなく、経験もなく- 多くを理解していなかった。今は、コーチングプロフェッショナルディプロマを持っているし、フィンランドで2年間勉強して、現役の時よりも違う風に物事を見ている。
父が最近言ったんだ:今は、お前は私のいうことを聞くことができているなと。父は、フィンランドバレーボール連盟の元会長だったんだ。
監督の仕事には、膨大な時間と多大な努力が要求されるが、非常にクールな仕事だ。誰かをより良くした時の気持ちは、もうーーーーー大興奮さ! プレイヤーたちがどんなにより良くなっているか、チームがどんなに上手く行っているかが分かる時 -ああ、なんて最高なんだ! ただただすばらしい。でもこの仕事は、タフで正直でいることも教えてくれる。
私はまだ、経験も全然ないひよっこの監督。だが、仕事へのこの情熱は決して失わないと、本当にそう願っている。もっと先へと成長したいし、もっと理解したいんだ。何かがチームに作用していない時は、何より第一に監督に作用していない。
私は、フリオ ベラスコの言葉が本当に好きなんだ(おそらく、最高のバレーボール監督):”最初の勝利はいつも、自分自身に属する”
誰もが心地良いゾーンを持っている -だが、新しいものはダッシュ(駆け足)を要求するものだ。いつだって言う方が簡単 -私にはできない。なぜできないのか、理由を見つけるんだ。
セカンドステップは、困難を打ち負かすこと。そいつらは常に存在している:体育館の照明は、目にダメージを与える -厳しいだろ。学校での間違った教えのせいで、ボールを取りに行けない。観客をの衝突 -問題だ。しかしそれは問題にできない。ベラスコはこれを、”言い訳の文化”と呼んだよ。
彼は、ざっくり言えば、非常に興味深い哲学を持っている。スポーツに関してだけではなくね。基本の信念は: a)コントロールできないことに、時間を無駄にするな b)自分自身だけに注目しろ c)自分自身を打ち負かせ
コーチングとは、チームに問題をなくすこと
私が常に言っているのは、難しい場面、まさにその瞬間にチームは試されるということ。全員が好調な時、チームであるのは簡単。困難がある時、何かが機能しなくなる -(その時)そこにチームがあるかないかが、一発で分かるだろう。ビッグホープ(大きな望み)、乏しい栄養、敗北 -それらなしでは、私たちはただの一本化された人間だ。
例えば、オーストラリアでのネイションズリーグのキャンペーン。ああいう長い移動の後で(チームはブラジルからオーストラリアへ42時間の移動をした。Sports.ruより)、ひどい食事。私は不満を何一つ(!)耳にしなかったよ。それもまた、私たちをより良くするテストだったんだ。
ネイションズリーグ、ロシアでの最低の世界巡り:飛行機の中に3,5日、最後の移動は43時間
挫折(失敗)は絶対に必要なものだと、私は思っている。単純に必要なんだ -より良くなる方法への理解を与えてくれる。ネイションズリーグのいくつかの試合で、私たちには、コントロールできたはずのたくさんのミスがあった:タッチネット、悪いパス、やる気不足。しかし、コントロールしなかった。
イランとの試合(0-3)を持ち出そうか。若手にとっては実に良いレッスン。たとえ負けてもだ。
私がしたミスは何だろうな? 私はしばしばナーバスに、攻撃的になった。私はめったにしないし、そういうのが好きじゃなかった。私は、チームにエモーションをもたらそうとトライしたが、正しくない振る舞いをした時があった -私は怒りをあらわにし、ミスについて不満を言った。ボディランゲージもしたが、むなしいものだったよ。ああ、チームが目覚めなければならない時はある。でも、コーチングとは、問題を作らないこと。直感的な瞬間 -つまり、成功のカギ。タイムアウトでは、言葉を選ぶ必要がある -多くを話したり、分かりきったことを繰り返すのは、意味がないんだ。
ちょくちょく何も言わない時があることもある -メンタル的にチームを休ませ、ゲームに戻させるためにね。
今年、4つの大会があって、もちろん、最も重要なのはオリンピック予選(8月9-11日、セントペテルスブルグにて。相手はイラン、キューバ、メキシコ、1チームが2020大会へ行く。Sports.ruより)。私たちは皆、それがとても重要なことは理解っている。話す必要もないくらいだ。しかし、ネイションズリーグファイナルの最中は、予選のことは考えないよ。これもコーチングジョブ -すべての大会を通り抜けるにはどのようにするか、ビッグプランを書くこと。
最も重要なプレイヤーは、1番少なくプレーした者たち
私は常々言っている。今この瞬間、私たち(ロシア)はベストチームを持っていると。ベストチームは、ネイションズリーグの決勝へ行った。それからベストチームは、オリンピック予選へ行き、ヨーロッパ選手権でもベストチームがあるだろう。
しょっちゅう尋ねられたよ -ミハイロフやムセルスキーの欠場は、ゲームに影響するか。影響はなかったな、彼らは家にいたのだから。フェアで適切だろう。コントロールできないことに、時間とエネルギーを費やすのは、馬鹿げているよ。
もちろん、リーダーたちは、チームで1番大事なプレイヤーだ。もしも彼らが、私の批判を認めたとしたら、他のみんなも彼らにつくだろう。しかし、もしも彼らが反対したら、その時チームは反対しないだろう。なぜなら、すべてのことが、監督から生まれるわけではないからだ。
私は、マジック ジョンソンの言葉が本当に好きなんだ。NBA優勝後、彼はこう言ったんだ:”1番大事なプレイヤーたちは、1番少なくプレーした人たちだ。” 彼らは不満を言うことなく、チームをサポートした。スピリットを捧げたんだ!
私はいつも要求しているのは、単純なことだ: a)先を考えるな -今を生きろ b)1つ1つのボールのために戦え c)互いを助け、互いを頼れ
これは、自分自身が確実に100%の時にだけ、やり遂げられることだ。
私には、子どもの頃からの夢がある -オリンピックだ。私は一度も行ったことがないが、心から行きたいな。
PS このインタビューは、ロシアが2連覇したネイションズリーグで、チームがシカゴ(アメリカ)に出発する夜、フィンランドの監督に取材したものである。
感想は後日にでも。