今日、ともだちに連れられて大学の御御堂に行った。




彼女がいうことには、初めて行った御御堂で3つお願いごとをすると叶うのだそうな。


はじめて聞いた時にはかわいいなあくらいに おもってたけど 

ほんとうに叶ったことがあるんです。




あたしには当時、だいすきな男の子がいて、



彼もすきだといってくれて、けど、本当は他に、一番好きなひとがいて、





大好きなのは本当だけれど 住んでいるところはとおいし 
彼の悪気のない我儘にどうしても振り回されちゃうから、

このひとに恋愛感情を持つのは本当に望ましくないなあと


そんなことを考えていて、泣いていて、
でもやっぱり不本意に振り回されていて。

彼にいらいらをぶつけたりして、自己嫌悪して、また泣いたりしていて。



彼を憎みたいわけでも、彼が悪いわけでもないのに。


べつに自分のにしたいわけじゃ全然ないのに。こんな関係が築きたいんじゃないのに。と。


おもしろいからたまにしゃべりたいだけなのに。と思っていて。





必死に、いのった。



『大好きなだけなのにこんな風になるのはお互いにはっぴーじゃありません。』と





『彼を守ってください と。そして あたしを自分を大事にしながら彼を愛せるようにしてください。』といのった。










『いつか 彼と笑って話せるようになりたいです』と。




そしたら、今。

叶っている。

あたしは待っていないのに、

彼はたまにでんわをくれて、いろんな面白い話をして、自分のタイミングで電話を切る。







神様は、いる。





神様ありがとう、とは、本当によく思う。神様、なんで?とも思うこともある。








一方、神様 おねがいします、とはあまり思わないけれど、







新しく行った御御堂ではなんとなく習慣になるんだとおもう。


いつもミサにも通っていないけど、神様、こんなわがままな話、きくだけでもきいてくれます?ってつもりで祈ってしまう。






うっかりきいてくれたりすることをちょっとだけ期待しながら。






祈りは、意思を生むのだと思う。

あたしは、こうするのだ、と。それもかなうことにきっと少なからず影響している。

祈ると、おちつく。あたしはこうしたいのだ。うん。間違いない。って 安心する。





きっとこれからも祈る。

叶えるのは、自分。

でも 神様は、かなえようとしているあたしをきっと愛してくださる。



愛してくれることを期待して 頑張るわけじゃもちろんないけど




流れは自分で作る。


『運命は必然じゃなく 偶然でできている。』









あたしはこっちの考えで、いきていきます。