夢のなかで赤信号無視

 今回はある方からの夢のひも解きのリクエストが入ったので、その解説をしたいと思います。

 彼女は夢のなかである目的地に車で向かっていて、四差路に差しかかり、気づいたら信号は赤に変わっていました。ぎりぎり大丈夫だろうと思いながらも、なんとなく警察が張っているように感じます。すると案の定、その四差路では警察が張っていました。「停まりなさい!」と言われ、そのあとになぜか「メリークリスマス!」と続きます。彼女は車から降りてあたふたし、そこで夢が終わります。

 彼女にひとつひとつのキーワードのイメージについて聞きました。車の運転=すべてをコントロールする力、赤信号=警告、停まらないと危険、赤信号を無視する=停まらなければ大変な惨事になってしまう、取り返しがつかなくなってしまう、警察=物事や世の中を正常に戻す役割、警察に停められること=運が悪い、メリークリスマスという台詞=祝福。

 これらのキーワードのイメージからひも解いた結果は次の通りでした。彼女はある目標に向かって頑張っていたのですが、自分でも気づかないうちに結果を急ぎすぎていました。そのために目の前のことが見えなくなっていたのです。しかし、それに気づかせてくれることが起こり、立ちどまることになります。それは一見不運な出来事に見えますが、時間がたってみると、返って祝福のような結果に転じることがわかりました。

 この夢は3週間ほど前に聞かせてもらったものですが、最近、ひも解いたとおりのことが起こったと連絡をもらったので、今日紹介することにしました。
 怒鳴る人にどう対処するか?

 今回は、それほど親しくない他者に怒鳴られた場合、あるいは配偶者や恋人といった存在に怒鳴り癖がある場合、どう対処すればいいかを解説します。よかったら参考にしてみてください。

 まず、それほど親しくない人物のケースです。たとえば「怒鳴らなくても聞こえます」とか「静かに話してもらえますか?」と言えば、彼らはたじろぎます。というのも、あなたに怒鳴るということは、彼らはあなたのことをそういうやり方で制することができると思っているからです。自分よりも権威や力を感じる相手であれば、彼らは怒鳴りません。相手を選んでやっています。男性であれば同性の同僚や部下といった存在、女性や子供にたいしては怒鳴りますが、上司といった存在や自分よりも肉体的に力を感じる外見の同性であれば怒鳴らないはずです。

 自分のやり方(恐れを与えて相手をコントロールする)が通用しないことを知れば、彼らは逆にあなたに恐れを感じるはずです。自分が与えようと思う恐れにひるまないということは、あなたのほうが自分よりも力があると感じるからです。その人物はもう怒鳴れないでしょう。

 次に、配偶者や恋人といった存在で怒鳴り癖があり、関係を改善させたい場合について解説します。

 とにかく聞き手に回ることが効果的です。「怒鳴らなくても最後まで話を聞くから」といったことを言うのはいいですが、基本的にこちらの意見や考え、アドバイスは求められないかぎり一切口にしないのが鉄則です。彼らは自分の意見や考えなんて受け入れてもらえない、という信念が根づいているので、とにかく聞き手に回ることで感情が自然に静まります。頷く、「そうだね」と相槌を打つ以外は、相手に話をさせます。

 彼らにとって必要なのは、「あなたの考えや意見を受け入れてくれる人(自分を愛してくれる人)はこの世にいる」ということを気づかせることです。

 最後に、自分自身に怒鳴り癖がある人の場合です。このケースは、いつも自分は怒鳴る人を引き寄せる、という人自体のことでもあります。外で怒鳴り声をあげることは皆無だとしても、親や配偶者や恋人には怒鳴る、わめき散らすということがあると思います。これまで解説したように、大事なのは「自分を受け入れてくれる人はいない」という幼少時代に培った幻想の物語(恐れ)を手放すことが大事です。あなた自身がまず、自分の考えや感情を否定、批難することなく、すべて受け入れることから始めてください。そうすれば、あなたの意見に耳を傾けてくれる人がまわりに集まってきます。

 彼らはどうして怒鳴るのか?

 前回は幼少時代にくり返し怒鳴られる経験をした人は、大人になって怒鳴るような人を引き寄せてしまう、そのメカニズムについて深く掘り下げて解説しました。今回は、怒鳴り癖のある人たちにフォーカスします。

 前回までの記事を読んで、大体察しはつくと思いますが、怒鳴り癖のある人はやはりそのような親に育てられています。いつもことあるごとに怒鳴られ、自分の考えや主張というものを否定されています。

 怒鳴ることで考えや主張を否定され続けた子供というのは、自分は受け入れてもらえない、つまり愛されていないという物語(恐れ)を無意識的に作り出してしまいます。愛されないということは、子供(人間)にとってとてつもなく恐ろしいことです。そのような恐れに満たされた子供はほかの子供と意見が対立したときに、怒鳴ることで相手に恐れをあたえ、状況をコントロールしようとします。親に教えてもらったやり方しか知らないからです。

 そのような恐れに満たされた子供が大人になると、とても攻撃的なタイプになります。威圧的ですぐに怒鳴り声をあげる、そして「正しい、間違っている」という口癖が多い傾向にあります。お互いの意見を尊重しあうのではなく、どちらが正しくてどちらが間違っているか、という判断に非常にこだわるのです。

 そういった判断が彼らにとってどうしてそれほど重要なのかというと、自分が愛されるか愛されないか という判断と同じだからです。なので彼らはどんなときでも、自分が正しくなくてはいけません。正しい=愛される(親からの承認)ということです。

 幼少時代に怒鳴ることで自分に恐れをあたえていた人物が、実は自身の幼少時代の愛されないという幻想の物語によって愛に飢え、恐れによって攻撃的になっていた真実がわかれば、あなたはもう以前ほど相手を恐れることはないと思います。相手はモンスターでもなんでもなく、あなたと同じように、まだまだわからないことが多い、ひとりの人間にすぎないということに気づくからです。あなたはもう相手を以前ほど恐れていないので、それほど怒鳴る人を引き寄せないでしょう。現れたとしても、毅然としているあなたにたいして相手は逆に恐れを感じるはずです。

 ちなみに、どんな考えや意見を持とうと近親者に公平に耳を傾けてもらえる幼少時代を過ごした子供は、お互いの意見を尊重しあうことができる大人に育ちます。どちらが正しくて間違っているかという判断にはこだわりません。そして、自分の意見によって他者にどう思われるかをそれほど気にしないし、意見を口にすること自体を恐れないでしょう。良い聞き手であり、リーダーの役割を担う大人に育つ可能性が高いと思います。

 恐れの法則

 前回は怒鳴られて育てられた人が大人になって怒鳴る人を引き寄せてしまう理由、親子関係を再現してしまうからということを解説しました。今回はもうひとつの大きな理由について解説します。

 もうひとつ、幼少時代に近親者のような存在に怒鳴られて育った人が大人になって怒鳴り癖がある人を引き寄せるのは、特定の恐れが根づいているからです。怒鳴る人にたいする恐れが根づいていればそのような人、身体的虐待を受けている人は暴力を振るうような人を引き寄せてしまいます。このブログによく登場する、信念の法則、恐れの法則にもとづきます。

 わかりやすい例をあげるとすれば、虫が嫌いな人ほど虫を引き寄せてしまうといったことです。常日頃から虫にたいする恐れが強く、いつそれが現れるかビクビクしていれば、実際そばに虫がいるのと同じようなエネルギを発しているので真冬や極寒地でも虫を引き寄せます。

 同じように、怒鳴られることにたいする恐れ(怒鳴っていた人にたいする恐れ)が根づいていれば、それはつまり、目の前に怒鳴る人が実際にはいないのに、いるのと同じようなエネルギーを放っていることになります。なので、配偶者や恋人、上司だけでなく、偶然入った飲食店で従業員を怒鳴り散らす店主といった存在まで引き寄せてしまうのです。

 ということは、怒鳴られることにたいする恐れがなくなれば、あなたはもう怒鳴る人を引き寄せなくなるということです。あるいは、怒鳴る人があらわれたと しても、恐れによって頭が真っ白になるということがなくなるので、「怒鳴らなくても聞こえます」などときっぱり言えるようになります。なので、幼少時代に培われた恐れ(怒鳴っていた人物にたいする恐れ)を解消するために、まず怒鳴っていた人物の背景を知ることが大事です。それは次回取り上げます。

 ちなみに虫に対する極度な恐怖症を克服したい人のために、ちょっとしたコツを書きます。あなたは虫を恐れていますが、虫はあなたの何倍もあなたを恐れています。このことをくり返し自分に言ってあげると、虫が自分を攻撃しようとしているのではなく、あなたの攻撃を恐れている小さくて無力な存在に映るようになります。虫にたいするイメージが変わってくると思います。
 どうして怒鳴る人を引き寄せるのか

 前回は怒鳴るという行為が暴力であることを認識すること、また怒鳴られていい人はこの世にひとりもいないということを解説しました。今回は、幼少時代の出来事によって、大人になった今でも怒鳴る人を引き寄せてしまうメカニズムについて解説します。

 幼少時代に近親者のような存在に怒鳴られて育てられると、その子供は大人になっても怒鳴る人を引き寄せやすくなります。前回の記事のように、怒鳴るという行為は相手に恐れをあたえ、意見や考えを否定し、自分の考えを強制したいという欲求から突き動かされる行為です。子供がことあるごとに「お前は間違っている!」というやり方で育てられるとしたら、その子は自分が絶対的に間違っている立場だと思い込むようになります。子供にとって親は絶対的に正しい存在だからです。(このくだりは、ツール・それは愛にもとづいていたか?でも詳しく取り上げているので、よかったら参考にしてみてください。)

 たとえば、機嫌が悪いだけなのに子供が遊んでいるおもちゃを取りあげたとしても、子供は「自分が悪いからだ」と思いこんでしまいます。大人の身勝手な八つ当たりであったとしても、子供は「そんなことをされても仕方ない、自分が悪いのだから」と思い込んでしまうのです。

 親に決めつけられた自分の立場(間違っている)という感覚が強く根づいたまま大人になると、その親を投影するような人物を引き寄せることになります。正しいという立場と間違っている立場の親子の関係を再現してしまうのです。怒鳴ることで考えや主張を否定されていたのであれば、その人物にも怒鳴り癖があるでしょう。そしてあなたは不思議とその人から離れることができません。相手が配偶者や恋人であれば、その傾向は強くなります。怒鳴ることで自分を否定し続けた親をその人物に投影し、承認(愛)を得たいからです。

 自分が悪いから怒鳴られる、怒鳴られるということは自分が悪いという条件反射のような意識を手放さないかぎり、時や場所が変わったとしても同じような人物をくり返し引き寄せることになります。次回は怒鳴る人を引き寄せてしまうもうひとつの大きな理由について解説します。


 怒鳴ることは暴力

 今回は怒鳴るという行為をこのブログならではの角度で解説していきます。

 たとえば、現在から過去をふり返ってみて、自分はよく怒鳴る人を引き寄せてしまうということがあるかもしれません。配偶者や恋人、上司といった存在、偶然入った飲食店で店主が従業員を怒鳴り散らしているのを目撃する、自分が生活している場所からそれほど離れていないところで、怒鳴り声がひんぱんに聞こえてくる、といったようなことです。

 その怒鳴り声を聞いて、「あぁ、うるさいな。」と簡単に払拭できるぐらいだったら問題はないと思います。しかし、嫌な動悸がする、 呼吸が浅くなる、極度に緊張する、恐れを感じる、ビクビクする、胃がしめつけられる、といったような感覚がするのなら、その怒鳴り声の人物は、大人になった今の自分にあまりよくない影響を及ぼしている、幼少時代の人物とリンクしている可能性があります。

 心当たりがある人は幼少時代をふり返ってみてください。たとえば、家のなかでいつも父親が怒鳴り声をあげていた、学校の威圧的な教師に個人的に怒鳴られ、恐ろしい思いをしたという経験があるなら、大人になった今でもあなたはそのような人物をくり返し引き寄せていることになります。その出来事を経験していた年齢が幼ければ幼いほど、そうなります。ちなみに、その人物が大人になった今でも夢のなかに登場し、あなたに恐れをあたえているなら、そろそろその人物との鎖を断ち切るときだということです。

 怒鳴る人をこれ以上引き寄せないためにできることとして、まず怒鳴るという行為が暴力であることを新しく認識する必要があります。

 怒鳴る=暴力だなんて大袈裟だろ、と思うかもしれません。しかし、暴力というのは恐れをあたえて相手を黙らせる、威圧する、否定する、コントロールする、自分の言うことを聞かせる、自分が正しいとか強いとかいうことを思い知らせる、といった欲求から突き動かされる行為です。怒鳴るという行為も、同じ欲求から突き動かされる行為です。力を振るって相手に恐れをあたえ、コントロールするという意味では、怒鳴るという行為も立派な暴力です。

 この世に暴力を振るわれていい人は存在しないのと同じく、怒鳴られていい人も存在しません。もしあなたを怒鳴る人がいるのなら、その行為をゆるしてはいけないのです。あなたは大切に扱われるべき人です。

 愛の目で観察する

 前回は、幼少時代の虐待経験を例にとり、自分が悪いからだという信念が根づくメカニズムについて詳しく解説しました。今回は、そのような信念を手放すためのツールを紹介します。

 同じような現実を創造しないためにはまず、自分が悪いからという物語(信念)を根づかせた幼少時代の出来事にまで遡る必要があります。愛を感じられない叱られ方をしたことで、どれほどの恐ろしい思いをしたか、またどれほど寂しく、深く傷ついたのかを自覚することです。そしてそれらの感情を癒すことがとても大事です。(このブログではテーマ・感情を静めるためのツールを紹介しているので、よかったら参考にしてみてください。)

 次に大事なのは、自分の親のしたことを善悪の判断によって裁くのではなく、愛の目で観察することです。

 人間は二極に分離するような価値基準によって生きています。たとえば、良い悪い、優劣、高低、損得、勝ち負けといったようにです。そういった二極性によっ て、相手は間違っている、自分は正しいという判断をしようとすると、そこにはさらに上下関係や支配関係、さらには罪と罰という概念が発生していきます。幼少時代の虐待経験が元で、大人になって親子同士で殺し合いが起こってしまうのはこのためです。このような負の連鎖を生み出さないためにも、良い悪いという裁きを手放すことが必要になってきます。

 なので、このような質問を自身に投げかけてみてほしいと思います。

 彼らのやったことは愛にもとづいていたか?

 暴力というのは愛にもとづいていません。暴力というのは、言うことを聞かせる、コントロールする、威圧する、恐れをあたえる、自分が正しいことをわからせる、ということが目的になります。それらはすべて愛にもとづいていなく、恐れの感情から突き動かされる行為です(たとえば、否定される恐れから人は状況をコントロールし、相手を威圧して自分が正しいことを認めさせようという行為に走ります)。また、人は暴力を振るわれると痛いだけでなく、心が傷つきます。愛にもとづいた行為は愛だけを生み出し、痛みや傷を生み出すことはないのです。

 彼らの行為は愛にもとづいていなかったし、愛にもとづいたやり方を知るチャンスがないまま親になってしまったこと、彼らも同じようなやり方で自分の親に育てられ、恐れに満たされた大人になってしまったこと(このくだりは他のテーマでも度々詳しく取り上げています。)、そのときの知恵や知識を総動員し 彼らなりにこれがベストな方法なのだと信じてやったこと、彼らも今のあなたと同じようにまだまだわからないことが多いひとりの人間にすぎなかったこと、というように観察していきます。一度では難しいかもしれませんが、この観察をくり返すことによって、あなたに一方的に恐れをあたえていた人物はモンスターでもなんでもなく、恐れに満たされ愛に飢えていたひとりの人間の姿に変化していくと思います。そうなったとき、あなたのなかにあった大きな恐れが慈悲というものに変化していることにも気づくかもしれません。

 恐れが癒されてくると、現在の人間関係において不条理な行為をしてくる人物に対する恐れもなくなってくるので、的確な接し方ができるようになると思います。相手を批難したり否定したりするのではなく、適切に主張し、自分を守ることができるようになります。また相手や相手のしたことが正しいか間違っているかではなく、愛にもとづいていたかどうかで観察できるようになると、「自分が悪いからだ」という自分に対する裁きも手放すことができるようになります。そうなったときに残るのは永遠にくり返される批難や議論や対立ではなく、愛です。もうお互いが縛りあうのではなく、自由の身になることができます。


 ツール・それは愛にもとづいていたか?

 今回は必要のない信念を手放すためのツール、それは愛にもとづいていたか?というものを紹介します。このツールはとくに幼少時代に虐待を受け、「自分が悪いから」という信念が強く根づいている人にとって効果があると思います。なのでまず、そのような信念が根づくメカニズムについて解説します。

 たとえば、近親者といった存在に身体的虐待を受けて育った人は、「自分が悪いから」という感覚が強く根づいています。子供にとって親のような存在は絶対的に正しいからです。なので痣ができるほど、骨折をするほど殴られたとしても、どこかで自分が悪いからそういうことをされても仕方ない、と思ってしまいます。

 また、親なのだから自分を愛しているのは当然で、そんな人が自分を殴るのはそれなりの理由があるからだ、という強い感覚もあります。裏を返せば、親が愛を感じられない行為を自分にするなんて信じたくない、愛されていないなんて思いたくないという恐れから生じる感情です。だから子供は無意識に自分を悪者にしてしまうのです。ひどい虐待を受けたのに、彼らが警察に捕まった親を庇おうとすることがあるのはこういったことが大きな理由のひとつです。もちろん子供は的確に言葉に表せるほどこのようなメカニズムを理解しているわけではないので、ただただ混乱し、その混乱のなかに傷を埋もれさせてしまいます。

 そういう子供は大人になっても、親のしたことが100パーセント不条理であったことを信じることができません。叱られる必要はあったとしても、暴力は必要なかったということがすんなり納得できないのです。つねにやっぱり自分が悪いから、殴られてもしかたなかったのではないか?という疑念が無意識的に渦巻いているからです。よって、それに沿った現実をくり返し創造することになります。

 たとえば、レストランで明らかに自分にたいして無礼な行為を働いた従業員がいたとしても、その行為にこれほど腹を立てる自分がおかしいのではないか?と思ってしまうことがあります。また仕事のミスで上司に執拗に怒鳴られ罵られたとき、腹がたつのに、どこかで自分がミスをしたのが悪いのだから怒鳴られてもしかたない、と思ってしまいます。このように自分にたいして不条理な行為をする人を引き寄せ、「やっぱり自分が悪いからじゃないか?」という現実をくり返し創造してしまいます。

 次回は、自分が悪いからという信念を手放すための効果的なツールを紹介します。
 夢のなかで高次元と繋がる

 前回は楽器を演奏していてとても幸せな気持ちになっている夢をくり返し見る場合は、音楽に関わりなさいというメッセージである可能性が高いという話をしました。今回は、もうひとつ似たような例について話します。

 夢のなかで、現実には存在しない曲を耳にし、感動するようなことがくり返しあるとしたら、あなたは作曲の才能があるのかもしれません。そんな才能なんてない!と思うかもしれませんが、その曲はあなたが高次元の世界と繋がって夢のなかで奏でているものです。作曲だけにかぎらず、後世に残るような傑作を生み出している歴史上の人物はみな、自分の範囲内で創作していません。彼らは高次元の世界と繋がり、そこからいわゆる「次元が違う」というようなアイデア(インスピレーション)を引き出しています。いわゆる、宇宙との共同作業です。あなたは宇宙の高次元と繋がって、すばらしい音楽を生み出す力があるのかもしれません。

 現実の世界では、人はいろいろなことを自分に言い聞かせて生きています。今回の音楽を例にあげるとすれば、そんなことをするには年齢的に遅すぎるとか、きちんとした教育を受けている人がやるものだとか、楽器が弾けないから、楽譜が書けないからとかいうようにです。しかし独学で30、40代から作曲を始め、プロになっている人はたくさんいます。なかには楽器も自己流で、楽譜の読み書きができない人も珍しくありません。こういうものだ、という世間の声ではなく、自分の声に耳を傾けることで現実は大きく変わってきます。



 夢のなかで楽器を演奏する

 現実の世界ではピアノなんて弾けないのに、夢のなかではすらすらと曲を弾いていることがあるかもしれません。

 そのような夢をくり返し見る場合はそのままの意味、「音楽に関わり なさい」というメッセージである可能性が高いです。夢のなかでピアノを弾いていて、この上ない喜びを感じている場合はとくにそうです。このような人は、実は日頃からピアノを弾いてみたい、音楽の趣味を持ちたいという願望があるかもしれません。

 またたとえば、歌を歌っていて幸せな気持ちになっている夢をくり返し見る人も、合唱などに参加するといいかもしれません。歌を歌うという生きがいが見つかる、合唱というグループを通してすばらしい出会いに恵まれるというように、音楽に関わることで自分の人生を豊かなものにできる可能性があります。

 夢のなかでは人はぜったいに嘘をつけません(自分に対してもです)。エネルギーだけの存在になるので思ったことや感じたことはすべて一瞬で伝わりあってしまいます(テレパシーの現象です)。夢のなかで音楽を通して幸せなのであれば、それは自分が肉体を持つまえから欲しているものなのです。