関係を改善しようと躍起にならないことの大切さ
たとえば会社などで苦手な人がいたり、数人のグループで聞こえるように皮肉や悪口を言われたりすることがあるとします。そういうとき、日頃からまじめでコツコツと努力を重ねられるような人(Aさんと呼びます)は、人間関係のトラブルにたいしても、どうにかしなければいけないという気持ちになってしまいます。完璧主義ともいえます。
このAさんの人の場合、とにかく頑張ってしまいます。心理学系やスピリチュアル系の本を読み、セミナーやカウンセリングに通い、相手にたいしても思いやりを持ち、誠実な態度で接しようとします。返ってこないとわかっている挨拶も毎朝します。もちろん、他者に思いやりを持つことや、誠実な態度を取ることはとても大事なのですが、Aさんのような人たちは無理をしてしまい、その割に状況が変わらなく、体調を崩したりうつ状態に陥ってしまったりします。
しかし、どうして必死になってしまうのでしょうか? こういった行動の根底には、外側の状況や人を自分の思い通りにコントロールしたい、という欲求があるからです。流れにそむいて泳いでいるようなものなので、疲労困憊してしまいます。
ここで、そういった人間関係に見舞われてしまった場合の対処法のひとつを紹介します。
まず、関係を改善しようと躍起にならない、ことです。
関係を改善しようと躍起になると、問題自体にエネルギーが注がれてしまいます。本を読んだりセミナーに通ったり、自分にたいする判断やイメージを良いものに変えてもらおうと必死になっているとき(「これだけやっているのに、どうして状況が変わらないの!」というほど)は、そこに問題があることを認めていることになるのです。なにがなんでも解決しなければならない、と思うと、問題はなくなりません。
良い例となるので、ここで反戦運動と平和運動にかんする、マザーテレサの有名な台詞を用いて説明します。
マザーテレサはある日、「反戦運動に参加しませんか?」と誘われました。しかし彼女は「わたしは反戦運動には参加しません。でも平和運動なら喜んで参加します」と言ったそうです。反戦運動は、わたし達の世界には戦争がありますと宣言していることになり、戦争があるという問題に膨大なエネルギーが注がれてしまうからです。なので戦争は絶対になくなりません。むしろ問題を大きくしてしまいます。戦争という出来事や、戦争を利用して利益を得ようとしている国にたいする憎しみをベースに、反戦運動は成り立っているからです。結果、憎しみは憎しみを生み出します。
しかし、平和について祈る、平和運動の場合は、わたし達の世界は平和ですと宣言していることになります。祈りの会などを設け、そこで知人やそうでない人たちと集まって、平和について静かに祈れば、人はひとつになれます。愛をベースに、平和運動は成り立つからです。愛は愛を生み出し、やがて戦争のない世界が訪れます。(このくだりを参考にすれば、集団的自衛権がどのようなものを生み出すかわかると思います。守らなければいけないということは、攻撃されます、という状況にエネルギーを注ぐことになるのです。)
話は戻りますが、この問題を改善しようと躍起にならない、流れにまかせる、ことで問題に注がれていたエネルギーが減っていき、やがて問題自体がなくなるということはできます。
ただ、自分はいつも苦手な人を引き寄せる、人に悪口や皮肉を言われたりする、という傾向があるのなら、そういう恐れ(信念)があるということなので、その恐れを手放す必要があります。その恐れを手放さなければ、会社といった場所を変えても、同じような人物を引き寄せるのです。また、躍起になってうまく関係が改善されることもあるとは思いますが、自分のなかにそのような人物といつも一緒になるという恐れが手放されていないのなら、結局、新しい部署に移動した時に同じような人物がいて、頭を抱えることになります。
言い換えれば、外側の状況や、うまくいっていない人たちとの関係を変えようと躍起になる(外側のものをコントロールする)のではなく、内側のもの(恐れ、信念)を変えることのほうが大事だということです。(信念の手放し方に関しては、このブログでよく解説しているので、過去の記事なども参考にしてみてください。)
たとえば会社などで苦手な人がいたり、数人のグループで聞こえるように皮肉や悪口を言われたりすることがあるとします。そういうとき、日頃からまじめでコツコツと努力を重ねられるような人(Aさんと呼びます)は、人間関係のトラブルにたいしても、どうにかしなければいけないという気持ちになってしまいます。完璧主義ともいえます。
このAさんの人の場合、とにかく頑張ってしまいます。心理学系やスピリチュアル系の本を読み、セミナーやカウンセリングに通い、相手にたいしても思いやりを持ち、誠実な態度で接しようとします。返ってこないとわかっている挨拶も毎朝します。もちろん、他者に思いやりを持つことや、誠実な態度を取ることはとても大事なのですが、Aさんのような人たちは無理をしてしまい、その割に状況が変わらなく、体調を崩したりうつ状態に陥ってしまったりします。
しかし、どうして必死になってしまうのでしょうか? こういった行動の根底には、外側の状況や人を自分の思い通りにコントロールしたい、という欲求があるからです。流れにそむいて泳いでいるようなものなので、疲労困憊してしまいます。
ここで、そういった人間関係に見舞われてしまった場合の対処法のひとつを紹介します。
まず、関係を改善しようと躍起にならない、ことです。
関係を改善しようと躍起になると、問題自体にエネルギーが注がれてしまいます。本を読んだりセミナーに通ったり、自分にたいする判断やイメージを良いものに変えてもらおうと必死になっているとき(「これだけやっているのに、どうして状況が変わらないの!」というほど)は、そこに問題があることを認めていることになるのです。なにがなんでも解決しなければならない、と思うと、問題はなくなりません。
良い例となるので、ここで反戦運動と平和運動にかんする、マザーテレサの有名な台詞を用いて説明します。
マザーテレサはある日、「反戦運動に参加しませんか?」と誘われました。しかし彼女は「わたしは反戦運動には参加しません。でも平和運動なら喜んで参加します」と言ったそうです。反戦運動は、わたし達の世界には戦争がありますと宣言していることになり、戦争があるという問題に膨大なエネルギーが注がれてしまうからです。なので戦争は絶対になくなりません。むしろ問題を大きくしてしまいます。戦争という出来事や、戦争を利用して利益を得ようとしている国にたいする憎しみをベースに、反戦運動は成り立っているからです。結果、憎しみは憎しみを生み出します。
しかし、平和について祈る、平和運動の場合は、わたし達の世界は平和ですと宣言していることになります。祈りの会などを設け、そこで知人やそうでない人たちと集まって、平和について静かに祈れば、人はひとつになれます。愛をベースに、平和運動は成り立つからです。愛は愛を生み出し、やがて戦争のない世界が訪れます。(このくだりを参考にすれば、集団的自衛権がどのようなものを生み出すかわかると思います。守らなければいけないということは、攻撃されます、という状況にエネルギーを注ぐことになるのです。)
話は戻りますが、この問題を改善しようと躍起にならない、流れにまかせる、ことで問題に注がれていたエネルギーが減っていき、やがて問題自体がなくなるということはできます。
ただ、自分はいつも苦手な人を引き寄せる、人に悪口や皮肉を言われたりする、という傾向があるのなら、そういう恐れ(信念)があるということなので、その恐れを手放す必要があります。その恐れを手放さなければ、会社といった場所を変えても、同じような人物を引き寄せるのです。また、躍起になってうまく関係が改善されることもあるとは思いますが、自分のなかにそのような人物といつも一緒になるという恐れが手放されていないのなら、結局、新しい部署に移動した時に同じような人物がいて、頭を抱えることになります。
言い換えれば、外側の状況や、うまくいっていない人たちとの関係を変えようと躍起になる(外側のものをコントロールする)のではなく、内側のもの(恐れ、信念)を変えることのほうが大事だということです。(信念の手放し方に関しては、このブログでよく解説しているので、過去の記事なども参考にしてみてください。)