テレビで全国多胎家庭1,591世帯の実施アンケート調査報告 壮絶な多胎育児の実態が明らかに【認定NPO法人フローレンス】のニュースを見ました。
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それを見てとても胸が痛みました。
私も多胎育児をがむしゃらに頑張ってきたからです。
#助けて多胎育児
私が双子を育てていた頃にSNSがあったなら、どんなに助けられたことだろうと思います。
見た目には可愛い双子。
双子用ベビーカーに乗せて移動していると、病院や公園では必ず声を掛けられました。
「双子ちゃん、かわいいね。女の子?男の子?」
けれど、双子の育児は壮絶でした。
体力的にも精神的にも限界に近い育児で、記憶さえ飛んでいる部分も多いです。
実際、2、3歳頃までの記憶があまりありません。
不妊治療を一年続け、やっと授かった子供。
双子を授かったと知った時は嬉しくて、妊娠中が一番幸せだったと思います。
出産はスピーディーで2人の生まれた時間差は5分でした。
第一子の長男は体重が1906gしかなかったため、近くの総合病院のNICUへ転院。
次男の方は2478gありました。
2500超えれば未熟児ではありませんから、主治医は2人とも手元を離れてしまうのはお母さんが可哀想だろうと次男は手元に残してくれたのです。
けれど悲劇が起こりました。
生後3日目から4日目にかけての深夜、次男は様子がおかしくなりました。
時々体をケイレンさせました。
夜勤の看護師さんに先生を呼んでくださいと訴えると、シャックリですよと言われました。
そのうちに白目をむいて泡を吹き全身をケイレンさせました。
とてもシャックリとは思えず、泣いて先生を起こしてくださいと訴えました。
ようやく先生が来た頃には産科医の手には負えない状態でした。
救急車で長男の病院へ運びましたが、救急車の中で心臓が止まりました。
思い出すと今でも涙が出る、恐ろしい夜でした。
長男の主治医は手を尽くしてくださいました。
次男は蘇生しましたが1週間が峠と言われました。
私は不幸のドン底へ落とされた気分でした。
泣いて神様に祈りました。
命だけは助けてください!
どんなことをしてもりっぱに育てます!
次男は頑張ってくれました。
出産から10日後、退院した私はようやく2人に会うことができました。
次男は長男と変わらないほど体重が落ちてしまっていました。
2人は丸一ヶ月入院しました。
入院中は毎日冷凍した母乳を持って通い、沐浴や授乳の練習をしました。
そして誕生日から一月後、2人揃って退院しました。
その時2人はちょうど普通の新生児の体重になりました。
退院した日が生まれた日だと思って育ててくださいと言われました。
双子の育児が始まりました。
夫も出来る限り協力はしてくれましたが、授乳だけは私一人でがやらなければなりません。
3時間おきに2人分、1日16回の授乳で寝不足が募っていきました。
昼なのか夜なのか分からない日々が続きました。
長男は舌小帯短縮症で上手く母乳が飲めず、飲まれる私も乳首が切れて痛みました。
乳首があまりに痛い時は、次男に飲ませてから母乳を絞り長男に哺乳瓶で飲ませる、という方法を取るしかありませんでした。
職場の同僚から桶谷式母乳育児を出産前に教えてもらっていました。
桶谷式乳房管理法を受けて質の良い湧きたての美味しい母乳を飲ませるという育児法です。
隣の市に手技をしてくださる先生方いらして、双子がいる入院中に何度も通いました。
マッサージに通ったお陰で母乳は有り余るほど出ました。
先生には「質の良い母乳を3時間おきに飲ませることは、どんなリハビリにも勝る。脳に良い刺激を与えることができる」と言われました。
その言葉は障害が残るであろう次男を育てていく私をとても励ましてくれました。
長男の舌小帯短縮症は手術を決めました。
母乳が飲めないだけなら哺乳瓶があるけれど、将来発音がしにくい場合もあるとのことでした。
そして何より2人分の母乳が出るのに1人は哺乳瓶だなんて面倒なことはしたくありませんでした。
手術をするなら赤ちゃんの頃の方が記憶に残らなくていいと言われ、首が座るか座らないかの頃に手術したと思います。
手術は局部麻酔で5分ほどで済み、手術直後に母乳を飲みました。
上手に飲めるようになっていました!
一安心も束の間、その頃から次男の発達に問題が出てきました。
障害が残ることは覚悟していましたが、実際目にするとショックでした。
まず、目が見えていないようでした。
長男は私の姿を追うように見るのに、次男はどこを見ているのか分かりませんでした。
次男はとても綺麗な目をしていました。
こんなきれいな目が見えないはずがないと信じていました。
3ヶ月検診で次男には「脳性まひ疑い」の診断がくだりました。
それで県外にある障害児の専門病院へ行きました。
そこで次男は
中程度の脳性まひ
と、診断を受けました。
リハビリが開始されました。
次男のリハビリは生後3ヶ月から週3回のペースでした。
双子を連れての通院は大変で、家に帰り着くとクタクタに疲れていることは言うまでもありません。
双子というのは、2人とも一緒に眠ってくれる時間があまり多くありません。
当然私の睡眠も途切れ途切れでした。
眠れる時に眠る、食べられる時に食べるという生活でした。
2人分の母乳をあげているとやたらとお腹が空き、夜中の授乳の後にもパンを食べたりしていました。
それでも私の体重は落ちていきました。
双子が退院してからも桶谷式マッサージは受けていました。
市内で受けたいというお母さんが集まり公民館などを借りてマッサージを受ける場を先輩お母さん方が作ってくれていまた。
どんなにありがたかったことか!
産科の婦長の経験もある先生は、発達に見合った離乳食や体操などを教えてくださいました。
母親にも食事制限がありました。
一番大変だったのは離乳食でした。
進度が2人別々だったからです。
長男は順調に進みましたが、次男は離乳食を嫌がり食事のたびに泣き叫びました。
母乳は有り余るほど出ましたから、お腹を空かせることはありませんでしたが、離乳できなければ保育園に預けられないと思いました。
次男は哺乳瓶を嫌がったからです。
第二部へつづく