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<黄昏の自己愛>は
私の懺悔の記録でもある

この長たらしく続いていくシリーズを書くべきか
ためらいがあった

食べ物に関するトラブルなど
えげつない
そう思ってきたので
どうしようもない脱力感に襲われる
書いていて辛い

それでも考えてみると
食べることは生きることに
直結している

飼っている犬と猫は
食べ物を譲り合うことは当然なく
サバンナを生きる野生動物は
戦って食料にありつく

人には拒食症という病いも存在するけれど
食欲はまず最初の原点だ

飽食時代を生きているから
隠されているだけで
極限状態に窮した時
自分は食べ物をどう取り扱うのだろう
それでも分け与えるとは
悔しいけれど断言できない


そして世にいう嫁姑問題
掃いて捨てるほど
転がっているこの問題
自分も例外ではなかった

その人はあまりに回りくどくて
真意のありかはずっと謎だった
逃げ道だらけの論法

ストレートに明言してくれたら
まだしも反論できたし
話し合えたかもしれない

だいたいそれまで
回りくどい人などいなかった

そうそうもうひとり
100歳まで生きた祖父も
回りくどかった
でも心にいつもストンと落ちてきた
自分の足りなさに即気づかせてくれた
下心などどこにも存在しない
相手のことをひたすら思って
発せられた回りくどさだったからなのか


もはや自分には
怒りも憎しみも皆無
そういう感情では書くことなどできない

30年近くに及ぶその人との生活で
謎がここにきて一気に解明され
ジグソーパズルの最後のピースが
埋まった、そんな気持ち

切なくて哀れ

それでも書き残しておこうと思った
自分の来るべき将来
いやもう始まっている老後
揺れ動き道を誤らないため
滅びの世界に足をすくわれないため
最後の最期まで
神様と共に生きていくため

それだけなのだ

そして自分の主観だけの物語
正反対の見方があったとしても
不思議はない
そういう意味でフィクションかもしれないとも思う


もう少しだけお付き合いいただけると有難いです(^^)
感謝


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