音楽家になるという事 | オペラ歌手くみバードの、ひたすらオペラな人生

オペラ歌手くみバードの、ひたすらオペラな人生

主催している「ありどおろ座」オペラ団の情報や合唱の練習など音楽家としての生活です。

昨晩気になっていた20歳の男子と話し合いました。自分の経験から音楽家としてやっていくにはどうしたらいいかを話し合ったのですが・・・

想像通り全く分かっていなかった様でした。

無理もありません。

私達もそうでしたが親にも親戚にも音楽家がいない未知の世界に飛び込むのですから。

例えば技術のない教師出会う、これは最悪です。

そしてその教師に苛められる。

これは私の経験です。

それから親等回りのサポートがない。

私は幸せな事に親が私に音楽家になって欲しいと思っていたので、十分なサポートはありました。

3歳からピアノを始め、毎週のレッスンと毎月1回の教授レッスン、5歳から桐朋学園の音楽教室、また音楽高校受験にその頃父の転勤でいた九州から、東京レッスンに毎月母と通う、等々。

才能があると言われ確かに全く練習しなくても困る事はなかったのですが、それも学生時代まで。

責任のあるピアニストとしてやっていくにはもっと技術がなければダメだと大学で見た外国人ピアニストのレッスンを見て衝撃を受けました。

それでもまだピアノに情熱があったら私の事だから何とかしていたかもしれませんが、もうピアノをやる気はすっかり失せていました。

他に最大に情熱を捧げられる歌を見つけたからです。

歌は私にとって簡単なものではありませんでした。それでも一応この年になっても演奏家としてやっています。反省すべき点もありますが自分の納得出来る演奏はまだ出来ていると思っています。

さてその彼ですが、相方に言わせるとプロッティの再来とも言える逸材の様です。

私も本物のイタリアバリトンだと思います。

ただ若すぎてハンサムだけど可愛すぎるのと、まだ声に膨らみがなく硬いと言われてしまうのが残念です。日本人は柔らかい声が好きですからね。

音大も全く分かっていませんし。

そういう訳でとにかく潰れない様に、潰されない様に演奏家として育っていく為にまず、分かっていないだろう親に音楽家宣言をしっかりしなさい、と言いました。

そして私達も色々とサポートしていくから、と。

日本の音楽家の宝を潰してしまってはいけないと思います。

心の底からそう思う歳に我々もなったんだなあ、と寂しいより希望に満ちた気持ちになりました。

まずはめざせ!ヴェルディコンクール!ですね‼️