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Wonderful-Wandering

ブログの説明を入力します。

こんな感じになりました。



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仕事場で スタッフの子から リクエスト


「チーバ君とアサッピーを描いてほしい」



・・・・・・アサッピーはてなマーク



旭川のイメージキャラクターだそうです。


知りませんでしたあせる


アザラシと大雪山と旭川ラーメンと・・・色々だそうです。


知りませんでしたあせる


なんだか詰め込みすぎて見失った感があるぞアサッピーショック!



節目、というには、あまりに心許なく。


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先日迎えた1年振りの3月11日。

僕がボランティアでご縁を持たせて頂いた南三陸町の報道を中心に、いくつかの特番を見ながら色々と思いを馳せていた。

十地十色の被災地の実情、時を経て多様化していく被災者の心象とニーズ、加速する当地内外での認識の温度差・・・

わずかばかりの期間であったけど現地に触れた身で想像するその現実に対して、さらに人々の実感と共有を難しくしているのは、厳然たる時間の経過と、巷に流れる報道の在り様なんだろうと感じる。


無数の救援・支援を受けて、それに感謝し今も支えに頑張っている人達がいる現実。

それを支えにしてもなお立ち上がる事さえ困難な人達、またその手からすらこぼれてしまっている人達がいる現実。

復興を期して様々な活動を起こし、形を成し、手探りでも少しづつ前に進んでいる人達がいる現実。

けれどその実現はあくまで局地的な“点”に過ぎず、それらが繋がり拡がって“線”になるのはまだまだ遥かな道程だという現実。

当地において「互いに助け合っていく」事と「個人が自活していく」事が、次第に両立できない課題になっている現実。

これらの状況の限りない多様性を認識できるような報道がよくなされておらず、またその報道に臨む人達が“今”を的確に捉えがたい現実。

えとせとら、えとせとら・・・


概ね人の心は、熱し易く、冷め易く、流され易い。

1年前より続きそして薄れつつある記憶を喚起され、胸を痛め、絆に涙し、また未知の不安に慄くのは容易い。

しかし。

今を生きる命を見つめ、何をすべきか、何ができるか、何を備えるべきか、如何にあるべきかを、悼みや怖れを抱えながらも思い考えていこうとすると、僕らは尽きる事のない葛藤や懊悩を伴い続ける覚悟をしなければならない。


そも、あの大震災ですら、人の世の苦難の大いなる一部ではあっても、決して全てではない。

差し伸べる手に、その先以外には伏せている自分の目を自覚するのはつらい。
それでも伸ばす手があるならば伸ばすべきだし、なお全てを拾う事はできない現実を忘れずにいれば、傲慢に陥るのも免れるだろう。

今は改めて、足付く地をしっかりと見つめてから、自分の在り方・動き方を見据えていく必要を考えるべきかも知れない。


気持ちによる支援から、思考による支援を軸に据えていく・・・

まだスタート地点に変わらない1年を、節目とするならば、敢えてこういう事だろうか?



・・・と、流され易い凡庸の一人は考える。


ちゃんと自分の生活をしっかり生きて、時間を取れたらきっとまた、向日葵の元気だったあの南三陸に行こう。
その時どんな意味を抱えていくかは分からないけど、何年経っても、何度でも、当たり前のように行ってみよう。


「微力は無力にはあらず」

「思い詰めず、思い上がらず」


僕らは部外者ではなく、当事者に他ならない。


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それが世の全てではないけれど、やっぱりとてつもなく大きな意味を持ってしまったこの日。

そんな日に寄せて何かを記そうと思って、でも思いや考えがごっちゃにまとまらず、ともすればそんな自分の思考の是非すら怪しくなる様・・・それでも書きました。



もしこの文章を読まれた方で、甚大な被災に遭われたご本人、また近しい方々がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

それでも、少しでも、誰かに何かが伝わればと思って、綴らせて頂きました。

どうかお許し下さい。