2011年7月24日
TVが アナログ放送終了で地デジに完全移行された日
この日を境にして
三重県名張市は 人口減少へ加速化し 衰退しはじめた
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三重県名張市 (伊賀国 名張の郷)
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奈良時代には 東大寺 管轄の荘園がおかれ
近畿どころか 畿内で
朝廷との結びつきも当然深かった
万葉集などにも 数おおく歌われていて
名張には 「沖津藻(おきつも)の」という枕詞ある
のちのち
伊賀忍者 百地家が有名で
全国的にも 有名な 服部半蔵も
名張の百地三太夫のお弟子さんだったらしい
テレビ 水戸黄門では
有名な 風車の弥七の 出生地とされていて
名張の翔 という人物も 登場する
私が 小さいとき 昭和40年頃は 人口3万人
関西圏の避暑地とされていたみたいで
名張川沿いに 料亭も かずおおくあり
芸者さんも いて 賑わっていました
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そんな 名張に革命が起きたのが
昭和40年代から はじまった 宅地改革
近鉄が 山地を開拓し 住宅地をつくり
最寄り駅 桔梗が丘を作り
大阪のベッドタウンとして 発展していきます
昭和50年代になると
通勤として 1時間30かかるけど
100坪ぐらいの広い土地の一軒家が買えること
さらには 家をつくるならー♪ というCMで有名な
パナホームをはじめ プレハブ住宅も大ブーム
大阪の 千里ニュータウンを中心とした
ニュータウン族が 大挙して 桔梗ヶ丘住宅地へ移住
名実ともに 大阪のベッドタウンとなりました
このころ 大阪から引っ越してきた中に
幼かった 平井堅が いるわけです
桔梗ヶ丘の成功に
つつじが丘 すずらん台 富貴ヶ丘 梅ヶ丘 さつき台
などなど いっぱいいっぱいの 住宅地が生まれ
人口も 大幅に増加しました
当時 テレビは アナログ放送で
関西圏 東海圏 ともに映り
NHK大阪 毎日放送 朝日放送 関西テレビ 読売テレビ
NHK津 中京テレビ 中部日本放送 メイテレ 東海放送
三重放送 奈良テレビ テレビ大阪 KBS京都
テレビのリモコンがあふれるほど みることが出来ました
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しかーーし 地デジに なった瞬間
行政上の 東海地方で 東海圏のテレビしか
映らなくなりました
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大阪のベッドタウンとして 発展した市
つまり 大阪へ通勤している人が 圧倒的に多い市
なのに
例えば 大阪地下鉄 御堂筋線が事故でとまっている等の
情報が手に入りにくくなったんです
大阪へ通勤している人にとって 名古屋の地下鉄の情報
なんて ほぼ不要なんです
これは でかかったなぁ
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テレビの地デジ化によって
名張は 「大阪のベッドタウン」としての
価値が大きく下落し 移り住んだ人たちの 子ども達も
その地を はなれていくことが当然ですわね
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市町村 合併ブームのころ
実は 奈良 榛原町などと合併する話もあった
そのとき 名張は 奈良県になる方法も あったのに
それはやめて 伊貸市との合併にも加わらず
「三重県名張市」に こだわった
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名張市は どんな市に していきたいんだろ?