初蕾 | 桃象の観劇書付

お芝居「初蕾」

 

橋田寿賀子の脚本を しっかり読むと 

橋田寿賀子の

ものすごさが わかるんです

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原作は  山本周五郎

月の松山 収録の 「初蕾」

 

🔲  あらすじ

 

小料理屋「ふじむら」で“ふじむら小町”と呼ばれる人気の芸者・お民は、若き武士・半之助と身分違いながらも互いに想い合い、半之助の子を身籠る。しかし半之助は同僚の武士・森田にお民との関係について正論をぶつけられ、森田を斬ってしまう。

 

半之助は、お民が身籠ったことを知らぬまま江戸へ出奔し、

半之助の父・良左衛門は、息子の不始末の責任をとり

隠居の身となる。

ある日、良左衛門の妻・はま女は、門前で赤子と小太郎と書かれた書状を拾う。梶井家の子として育てる為、

廻船問屋隠居の喜右衛門に乳母を紹介してもらうが、

そこに現れたのは…お民。

 

お民は門前に咲く梅の花を見て自らを“うめ”と名乗り、

梶井家で生活を始めるが、学も教養もないお民の不作法な振る舞いに、はま女は眉をひそめるばかり。

それでもお民の小太郎への愛情を受け、

はま女はお民を厳しく教育する。小太郎の側にいる為に

自分を変えようとするお民も徐々に変わっていき…。

 

六度目の梅の蕾つく頃、江戸で学問所の助教となっていた半之助が殿の許しを得て戻ってくると報せが届く。それを知ったお民は出て行こうとするが…。

 

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原作では 

 

 生まれた子どもは

「宝暦四年六月某日誕生、名は松太郎」

 ラストの場面

「宝暦十一年を迎えた正月、小太郎は袴着の祝いをした」

と なっています 

 

宝暦4年は  1754年
宝暦11年は  1761年

 

ところが 

 

橋田寿賀子バージョンでは

 

序幕が 嘉永7 (1854)年 <春の夜>

子供が 生まれるのが

嘉永7 (1854)年 <11月昼>

その翌年 

安政2(1855)年 元旦で 松太郎は2才になります。

(満年齢だと 0才2か月です)

安政2年 (1855)年 <2月>

子供は 梶井家の玄関に置き去りにされ拾われます

 

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この 年代変更には おもいっきり

深い意味が 隠されています

 

 

子供が 生まれたのは 嘉永7年の11月ですよ

 

上の年表を しっかり見てください

嘉永7年11月 安政東海地震 安政南海地震

そうです    

令和の現在 南海地震が起きるとやばい話も

盛んですが 

 

そんな 南海地震が

嘉永7年11月4日5日に 起きているんです

 

初蕾の舞台は 

伊勢の国鳥羽(三重県の鳥羽市) 二見ヶ浦

お民が務めていた 「ふじむら」は 海岸沿いにありました

 

調べてみると その南海地震で 鳥羽には 

6メートルの津波が 発生したようです

 

 

橋田寿賀子は あえて 

その 南海地震の年に 

子供が生まれた設定しているんです

 

ふじむらで働いていた お民

ひとりで子供を産む覚悟をして 

当初 芸者として 稼ぎまくるんだ 

と言ってます

 

そんな お民だったけど

子供が生まれる直前  大地震 

鳥羽の街は大混乱 

二見のふじむらも 津波の被害 

働く場所を 失ってしまった

 

命からがら なんとか産み落としたお民 

 

お民が 高台にあった梶井家に奉公に出るのは

子供 かわいさだけではない 

 

そんな理由も この脚本には 隠されています

 

ものすんごいんです