4/23 劇団夢道+藤乃かな+嘉島典俊 「おでん地獄」   | 桃象の観劇書付

4月23日 歌舞伎町劇場

劇団夢道

ゲスト  藤乃かな 嘉島典俊

 

お芝居「おでん地獄」

 

高橋お伝    藤乃かな

高橋浪之助   姫錦之助

五寸釘寅三   嘉島典俊

閻魔仁蔵    藤ひろし

若旦那     大和あつし

芸者屋女中 花 姫天花

大工仲間 為吉 姫海老之助

女房   なな 姫百合七星

同心      大和あつし 

同心      姫海老之助

 

■ まずは 

実在の高橋お伝の略歴

 

明治随一の毒婦として知られる高橋お伝が斬首刑に

処されたのは明治12年1月31日。

 

お伝は嘉永元年8月、上州沼田在下牧村の農家に生まれ

お伝17歳の時、婿養子を迎えるが夫婦の仲は悪く、

お伝は家出をして中山道板鼻宿の仕出し屋で働いていたらしい。

その後、正式に婿養子との離縁が決まり、

 

慶応3年11月に同じ村の高橋波之助と結婚。

しかし、明治2年ころから波之助にハンセン病の兆候が表れ、

治療費のために田畠を売り、夫婦は窮し、東京に出る。

明治4年12月のことという。

波之助は日雇い、お伝も奉公に出るが

明治5年9月に波之助死去。

 

この5年9月から9年8月に殺人容疑で逮捕されるまでの

凡そ4年間、お伝はつぎつぎと男を変えて渡り歩き、

古着商・後藤吉蔵殺害に及び、最期を迎える。

 

  

お芝居 は 毒婦の印象は あまりなく

お伝は 悲劇の女性として 描かれてました

 

■ 

明治5年 東京神田仲町 波之助の住居から 幕が開きます

 

らい病を患った浪之助 

その悪質な皮膚病を治すために東京に出てきて2年、

妻のお伝は 芸者勤めをして 家計を支えていた

 

当初は 波之助も大工仕事をしていたが

一向に 病は治らず 悪化の一途をたどっていて

いまでは ほぼ寝たきりの状態にまでなっていた


芸者勤めだけでは 薬代が稼げないと

金を払うから 全身に刺青させてほしいという

刺青師の申し出を受け 全身に刺青をしてまで

波之助の看病に 明け暮れているお伝

 

だが そんな長期にわたる治療の中で

浪之助の心には焦りがあった

悪友 仁蔵が お伝が浮気をしているんじゃないかと

告げ口をしにやってきた  

症状の進行、お伝に嫌われるのではという焦り

お伝が他の男と会っているのではないかという嫉妬のために

浪之助はお伝に対して心を閉ざしはじめた

 

ある日 仕事先でトラブルがあり店に戻ってほしいと

女中と 贔屓の若旦那が お伝の家にやってきて

戻ることになった

 

その戻る道中 突然の雨に傘をさしかける若旦那

その姿をみた 仁蔵と波之助

勘違いをして お伝の浮気を確信し

波之助は 出刃包丁を持ち出し 

お伝を殺し 自分も死のうと思い 追いかけていきます

 

そして・・・

 

 

という 意図はよくわかるんだけど

実は ツッコミ処満載のお芝居でした

 

➀ 芝居の時間が 50分

  開幕 13:06  幕 13:56

      この内容なら もっと丁寧な 

  中身の深い芝居をしてほしいですね

 

  そもそも 開演が 6分遅れというのも 

  なんだかなぁ

 

➁ 警察

  ラス前に 捕り物があるわけですが

  配役に書いたように 江戸時代そのままの同心姿でした

  ということは 

  明治5年(1872)2月「邏卒」制度が始まる前ということ

  ということは・・・このお芝居 明治4年なのか?

 

  邏卒(らそつ) という 巡査の姿はこんな感じ

 

➂ ガス灯

  バレの場面で ガス灯が灯ってました

  この道をまっすぐ行くと 浅草という場面ですから

  おそらく 東京蔵前あたりの川沿い

 

  1872年(明治5年) 横浜で日本のガス事業が始まり

  街灯としてガス灯がともったそうで

  横浜に遅れること2年後 

  1874年(明治7年)には東京の銀座通りにも街灯として

  85基のガス灯が輝くようになり 

  ガス灯は次第にその数を増やしていきました

 

  と 書かれています。 ということは

  このお芝居 明治7年以降?