【用語解説】曽根崎心中 | 桃象の観劇書付

この世の名残り、夜も名残り。

 

心中しようという二人にとって

この道行がこの世の名残りで、

夜も あとすこし。

 

 

死に行く身をたとふれば

あだしが原の道の霜

一足づつに消えて行く

夢の夢こそ哀れなれ。 

 

死に行く二人は まるで 墓場までの道の霜。

一足ずつ踏みしめるたびに 消えていく

そんな夢の そんな夢こそ 物悲しい。

 

あれ数ふれば暁の、

七つの時が六つ鳴りて、

残る一つが今生の、

鐘の響きの聞き納め。

寂滅為楽と響くなり。 

 

鐘の響くのを数えてみたら

明け方の七つ時の鐘が六つまで鳴って、

あと残りの一つがこの世での、

鐘の響きの最後の聞き納め。

この響きは まるで

迷いの世界から離れ 

心安らかな悟りの境地 

 

鐘ばかりかは、草も木も

空も名残りと見上ぐれば、

雲心なき水の面、

北斗は冴えて影うつる

星の妹背の天の河。

 

鐘だけでなく 草も木も空も そうだ。、

これが最後と思って見上げると、

静かに流れる川の水には 北斗七星が

そして 織女星、牽牛星が逢瀬をするという

天の河が映っている。

 

梅田の橋を鵲の橋と

契りていつまでも、

われとそなたは女夫星。

 

梅田の橋を

天の河にかかるとされる 鵲の橋と思って、

二人は織姫彦星のように、夫婦の契りを交わして、

死んでも永遠に、俺とお前は夫婦星。

 

 

「この世の名残 夜も名残」で知られる

近松門左衛門の名作「曾根崎心中」の名文句

 

黒字部分が 桃象訳でございます。

 

夜空の天の河 から お初徳兵衛の二人を

織姫彦星に なぞらえて 「愛」を表現しています。 

 

 

たしかに 「霜」という 冬の言葉が登場は

しますが それは あくまで 

「たとふれば」という 比喩表現でのこと。

 

二人が 心中するのは 初夏

七つ時ですから 

夜明けがもうすぐという 深夜4時ぐらい

天の川、北斗七星が 

輝いています

 

北の空

 

南の空

 

 

 

元禄16年4月7日(1703年5月22日)

早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と

内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が

西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件

 

近松門左衛門が 人形浄瑠璃『曽根崎心中』

として 作り上げたもので 初演は同年5月7日(6月20日)。

 

つまり 一か月後ですから 驚きですね。

しかも その人形浄瑠璃の前に 歌舞伎で演じられた

記録も あるそうな・・