【用語解説】 旅籠 (はたご) | 桃象の観劇書付

旅籠(はたご)は初 め「篼」という難しい字を書き、

奈良時代には旅人の馬の飼料を入れる籠の事であった。

 

平安時代になると人の食料も入れるようになり、

次いで室町時代には賄(まかない)の事を言うようになり

 

賄い付きの宿の事を「旅籠屋」と呼ぶようになったそうです

また それを 略して 旅籠と呼ぶようになった歴史があるそうな

 

 

一般の旅行者が宿泊するところには旅籠屋と木賃宿があり

 

旅籠屋と木賃宿との違いは、

食事が付いているか付いていないかの違いです。
 

旅籠屋では夕食と朝食を出し、

店によっては昼食の弁当を出すところもありました。
 

一方、木賃宿は、旅人が米を持参し、

薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらいます。

「木賃」とはこのときの薪の代金、

つまり木銭(きせん)を意味しています。
 

江戸時代 庶民の旅が盛んになるにしたがい、

次第に旅籠屋が増え、

宿代も天保年間(1830~1844年)には

旅籠屋は木賃宿の5倍以上もするということで、

木賃宿は安宿の代名詞となってしまいました。

場所も宿場のはずれなどにありました。

 

 

宿泊費は江戸後期で

上等の旅籠で 最高300文くらい、

一番安い旅籠で100文くらいだったようです。

木賃宿は薪代を別にして素泊りで50文から60文。

 

1文を 25円 つまり 4文 100円で 

現代の価格に換算すると

 

上等の旅籠で 7500円くらい、

一番安い旅籠で2500円くらい

木賃宿は薪代を別にして素泊りで1250円 から 1500円

 

と、なりますから  

宿泊代に関しては 現在の庶民の感覚からすると

約 1/3 の物価と考えたらいいかと思います。

 

 

ただ旅籠の宿泊料は幕末になると倍以上に高騰しました。

また飯盛女(遊女的行為をする女)を世話する

「飯盛旅籠」というものもありました。

 

 

飯盛女との むふふの料金は、

「東海道中膝栗毛」の平沢宿での料金は

は200文(約5000円)あたりですが、

史料によっては400文(10000円)、500文(12500円)と

ありますので、旅籠によっては違いがあるようです。