【用語解説】 角兵衛獅子(かくべえじし) | 桃象の観劇書付

子供が中心として演じる 獅子舞の大道芸。


調べると
7歳以上、14、5歳以下の児童が、しま模様のもんぺと錏(しころ:兜(かぶと)の鉢の左右から後方に垂れて頸を覆うもの)の付いた小さい獅子頭を頭上に頂いた格好で演じる。
と書かれています。
 

 

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角兵衛獅子のふるさとは

越後の国 月潟村 なんだそうで 信濃川中流部の沿岸の農民 角兵衛が
毎年の凶作や飢饉から村人を救うため、獅子舞を創案したらしい。

その信濃川の洪水に悩まされた 月潟村の者が 堤防を造る費用を得るために、
子供に越後の獅子踊りをさせて旅稼ぎをさせたのが始まりらししく 
江戸時代には 越後から親方が連れて各地を訪れる 大道芸の形で 演じられた

が 児童に対して親方と呼ばれる大人が鞭を用いた体罰で芸を仕込むことや
口減らしのために 子供を 親方へ売る 人身売買のようなことが
行われていたんだそうな・・・
 
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親方としても 芸を必死に教えて 収入を増やそうとします。

大道芸でございますから、当然のことながら 収入も不安定。
また 芸達者な子供もいれば そうでない子供もいる。

そんなこんなで  農村で口減らしのために 角兵衛獅子に
売られ、芸を できればいいが ものにならない子供や
金になる 女の子を 転売して 収入を得ていた 親方さんも
いたんやそうでございます。
 


念のため もう一度 おさらいいたしますと

角兵衛獅子のふるさとは 
越後の国 月潟村(つきがたむら)
 
そんな 角兵衛獅子の中に
 
弥太と千代  という二人の子供が居ました
越後の国は 長岡の宿まできたときに 
食べる物も無く寝る所も無く、
暮らしに困った親方は地元のやくざ 
犬神の権蔵に三両で 千代を売るわけでございます

こうして 弥太 と 千代は わかれわかれになるのです

「下北の弥太郎」の 発端でございます