【用語解説】 引裂箸 (ひきさきばし) | 桃象の観劇書付
引裂箸とは 割り箸のこと ^^

割り箸の 文化と言うのは 調べてみるとなかなか 
興味深いのでございます。 
 
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守貞謾稿(さだもり まんこう)という 江戸時代の 百科事典のような
書物に、

「(鰻飯には)必ず引き裂き箸を添ふるなり。
この箸、文政以来此より、
三都ともに始め用ふ。
杉の角箸半を割りたり。食するに臨んで裂き分けて、これを用ふ。
これ再用せず。浄きを証すなり。
しかれどもこの箸、また箸工に返し、丸箸に削ると云ふなり。
 鰻飯のみにあらず、三都諸食店往々これを用ふ。かへつて名ある
貸食店(りょうりてん)には用ひず。これ元より浄きが故なり。」

と 書かれてあるそうな。
 
現代語訳すると

うなぎ丼 には 必ず 割り箸を 使う。
割り箸は 文政の時代から 京 大坂 江戸で 使い始めた。
杉でつくられた角箸に 切り込みをいれてあって
食べる時に それを 割って 使う。
その使用済みの箸は その店では 再利用せず
客は 常に 真新しいものを使い 清潔であることをあらわしている
使用済みの箸は 箸屋にもどして 
戻された箸は 再び削って   丸い箸を作ると言います
うなぎ屋だけではなくて 京 大坂 江戸の 飲食店は
割り箸を使う店が多い。
ところが 有名な料亭では 割り箸は あまり使用しない
なぜなら もともと 料亭では 清潔な箸を提供しているから
 

 
割り箸は 千利休が作ったという説もあったり、
ぶっちゃけ 起源は不明なようですが、
上の記事にあるように 一般的に広まったのは 
江戸時代 の文化が一番華やいだとされる 
文政(1818~1829年)の時代のようで ございます。
 


文政と 言いますと あまり ピンとこないと思いますが
11代将軍 家斎のころ  江戸時代の後期
 
水戸光圀さんは 1700年 元禄13年に亡くなってますから
そのあと 110年後 ぐらいでございます。
 
清水の次郎長さんは ちょうど 文政3年生まれでございます。
なので 次郎長さんは 割り箸を使っててもいいわけでございまして
となると 赤尾の林蔵さんなんかも 割り箸使っててもいいわけでございます
 
また 人形佐七さんも 文政の時代に活躍した人ですから 
割り箸使っててもいいわけでございます

割り箸使ってたら おかしいのは

江戸中期の 徳川吉宗さん 水戸光圀さんなど
江戸前期の 長七郎旅日記の長七郎さんなど
江戸以前は もちろんおかしいのでございます

ただ、利休さんが作ったとも言われているので
室町時代から 茶席などで 個人的には作ることがあったの
かも わかりません