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ペンを持ち 花を愛で

辛い世渡り、無理に笑って過ごすのは難しいけれど、
日々の幸せを見つけて、自分の人生を歩んでいきたい

こんばんは。カエル

 

朝から「ばけばけ」最終回で、涙えーんを流しながらご飯を食べていました割り箸

 

さみしい…もうすでに“ばけばけロス”ですガーンヘブンさんにももう会えないね悲しい

 

とは言え、シリーズ通しては、私はやっと、あの錦織先生の哀しすぎる横顔名シーンのあった、松江編最後にたどり着いたのですが…ガーンま、追々楽しんで行きたいと思います。

 

チューリップ  チューリップ  チューリップ  チューリップ

 

さて、用があって出かけましたが、その用がちょっとしたトラブルでなくなり、時間ができてしまいました。ふと、電車バスに乗っている時に、「昔いたあの場所はどうなっているかなはてなマーク」と頭に浮かんだひらめき電球のですが、それも何かの思し召しかなと思い、行ってみることにしたのです。

 

最寄りバス停を降りた所にあるスーパー。ちょうど私がいた頃にできたと記憶しています。当時は広く大きなスーパーと感じていましたね。

 

区役所。変わっていませんびっくり

 

歩いていく内に、段々思い出してきました。

 

この雑木、当時はもっと木が植わっていた気がしますが、学校の男子達の“秘密基地”でした。私は中に入れませんでしたけどもガーン

 

ここも学校の友達と遊んだりしました。もっと広く感じたものですが、大人になると小さく見えますね。当時と同じ、ただのグラウンドなのが良いです。今となっては貴重です。

 

そして住んでいた団地。塗り替えられてはいたけれど、作りはそのまま。「そうそう、これだった、これびっくりマーク」中まで入って当時の部屋の前まで見たりしました。案外天井が低くてびっくりですびっくり

 

このちょっとした窪地もまた、遊び場でした。やっぱりあの頃はもっと深い窪地に見えたんですけどもね。

 

隣りにある、公園。人工の山なんかもあって、結構な広さなんです。その入り口。今でも忘れませんが、ある夏休み、遅れてラジオ体操に向かったら、ちょうどこの道の真ん中で結構な太さのへびがノロ~ッと横たわっていたのですガーン。当時は巨大へびに見えて、怯えて引き返し、母に怒られた、という思い出がありました。

 

今はさっぱり木もなくなっていますが、当時はもっと鬱蒼としておりました。道も今見ると狭いね。

 

確か“昭和山”という人口山の頂上。ここまで来る時点でへ~こら言ってる体力なし滝汗

 

今は阿倍野ハルカスが目立ちます。

 

比べて通天閣の小ささよ。当時は目立つ存在で、夕方から点灯する“お天気ライト”で、我が家は明日の天気を見ていました。

 

中央の橋は“めがね橋”両サイドがグルグル回転して昇っていくので、そんな名前だと思います。ここを通る時は楽しかった音譜

 

見ずらいですが、緑のアーチは水門。

 

そして数年通った小学校。こちらは裏門になるのですが、私はこちらからいつも入っていましたね。

 

「創立150周年お祝い」と垂れ幕がありました。この学校かなり古いのですよ。今は知りませんが、右手側の校舎は当時木造だったと記憶しています。階段や廊下など記憶にあります。特に他の学校になかったのが、「怖い“理科準備室”」ドクロ大量のホルマリン漬けの生物とか、熊とかのはく製っぽいものとか、年季の入り過ぎて恐ろし過ぎる人体模型とかが、所狭しとあり、そこの掃除が楽しいんだか怖いんだか、よく分からん感じでした笑い泣き。今はどうなっているんでしょうね。まだあったら嬉しいな。

 

こうして“昔いた場所”に行くことはほとんどなかったのです。なぜなら、なんとなく“自分にはもう終わった場所”という感覚があったので。複数回引っ越しをすると、そうやって心との折り合いをつける術を得ていたのかもしれません。

 

でも今回行って、案外変わっていないものもあって、当時の記憶と重なり合って、なんだか嬉しく思ったものでした飛び出すハート。正直に言えば、この小学校時代が、人間関係の築き方の下手な私の、一番楽しかった時代でもあったのでしたから、よけいにそう感じるのかもしれませんね花

 

アデュー。いつかまたクローバー