ペンを持ち 花を愛で -18ページ目

ペンを持ち 花を愛で

辛い世渡り、無理に笑って過ごすのは難しいけれど、
日々の幸せを見つけて、自分の人生を歩んでいきたい

こんばんは。赤薔薇

 

久米宏さんが亡くなったえーん

 

思ってもみないことで、その衝撃はじわじわと後になればなるほど強くなっている。

 

思春期の多感な時期、私はトレンディードラマに向かわず、なぜか「ニュースステーション」「News 23」に向かった。今にして思えば、本当に宝物のような時間だったと思うキラキラ

 

別に硬いニュースばかりを熱心に見ていたわけではない。StingやU2のパフォーマンス、ロビン・ウィリアムズやトム・ハンクスのおもしろトークはよだれが出るほど、画面に食い入るようにして見たし、エンヤの珍しいステージパフォーマンスは、もう希少価値のように録画してまで釘付けになって見ていた。

 

彼らのニュース番組のおかげで、私は「政治の見方」というものを勉強した気がする。いついかなる時も、市民の目線として、権力に対して厳しい目を向け続けること。おかしなことには常に怒りを表明すること。それが仮に人気のある、一定の支持を得た権力であっても。

 

時に自分が間違いを犯しても、それに対して逃げることなく、その間違いに対して自ら精査し、省み、次へ繋げようとし続けた。(「23」の“オウム真理教事件”は、TBSそのものをも壊滅させるほどの事件で、筑紫さんは一時期本気で辞めることを考えていました)

 

できるなら、本当に二人とも今すぐにも生き返ってほしい。

 

けれどそれは決して叶わぬこと。

 

久米さんは言っていた。

 

「自分の目の黒い内は戦争はしたくないんですよ。だから自分達に責任があるんですよ。でもね、自分が死んだら、後はその次の人の責任。駅伝のようにタスキを渡していくんですよ」

 

久米さんや筑紫さんがいなくなって、まるで日本の民主主義が崩壊でもしたかのように悲嘆ばかりしていたけれど、それは単に甘えているだけなのじゃないか、と思えた。

 

タスキは渡されたのだ。

 

今、何より怖いと思っているのは、市民に広がる“冷笑系”だ。“しらけ”と言っても良いのかもしれない。そりゃそうだとも思う。この30年余り、良くなる所か、悪くなることしかなかった。選挙に行っても、いつも何も変わらなかった。もう考えるのも嫌になるだろう。政治の茶番につき合うよりも、自分の生活を死守するので精一杯。大きな声で喚くやつにやらせとけば、それで良い。

 

でもそんな冷笑系でこの30年間、いや直近でも良い。この10年間、良くなったんだろうか?

 

政治は結局生活=人生に直結する。それは民主国家だろうが、独裁国家だろうが同じだ。私達は幸いにも民主国家だ。自分達で選ぶことができる。

 

声高に言う必要もない。それはきっと日本人の特性に合わない、特に今の時代には。ひっそりとで良い。保守の考え方、リベラルの考え方、それはあなたのものだ。

 

テレビの前でも、Yahoo!ニュースの前ででも、ぶつくさ文句を言うだけでも良い(私はいつもそうだ)友人達との飲み会で「ったくさ~、ダメだよ、今の政治家っ!あたしの方が上手く総理大臣やれるって~」ビール生ビールのつまみ程度に言っても良い。

 

決してニヒリズムに陥らないでほしい。私やあなたが存在する以上、否が応でも政治はついて回るのだから。それを放棄した時、私やあなたは権力に自ら奴隷として売り渡し、自分の人生を彼らの良いように利用されるだけのものになり果ててしまうだろう。

 

でもやっぱり寂しいなぁ。不安だなぁ。もう一度、声を聞きたいなぁ。姿を見たいなぁ悲しい