なぜ自粛するのか。


自粛の理由

亡くなられた方への追悼。


自粛の理由

苦労している人、

つらい思いをしている人

困っている人、

悲しんでいる人、

放って置けない気持ち。


自粛の理由、
電力不足の時期に、

無駄に電気を使うことの罪悪感。


自粛の理由

原発事故が収束しない中、

他の原発も利用して発電している電気を使うことの嫌悪感。


自粛の理由、
海外から救助に来て、作業して下さっている方がいる中で、
同じ日本人の自分がそれをしないことの後ろめたさ。


自粛の理由
海外からも義援金。
その国の中には、日本よりも貧しい国もある。
あるいは、他に飢餓、戦争等で援助が必要な国もある。
こんなに金のある国が、海外からお金の援助を受けている。
同じ日本人が、娯楽、余暇、遊興費、
自分のものを買うのにお金を使うことの後ろめたさ恥ずかしさ。


自粛の理由、
余震の恐怖による出控え。
何時どこで、余震が起きるか分からない不安。


自粛の理由、
不安への備え。
他の地域でも同規模の地震の可能性が言われており、
そのときに備えて、節約、貯金、備蓄の範囲を超えた買いだめ。


自粛の理由

将来への不安。

日本経済の衰退による収入減。


自粛の理由

無力感。

一生懸命働き、欲しい物を買い、

楽しい思い出を作ったものが、

一瞬にしてなくなってしまうことがある空しさ。


自粛の理由、
義援金。
何かをしたい、義援金を送りたい。
でも、収入は、変わらない。
今後、むしろ震災の影響で経済が悪化し減る可能性も高い。
でも義援金を送りたい。
娯楽、遊興費その他を削って、義援金に回す。

自粛の理由、
家族と一緒に過ごす時間の価値。
津波に流され、一瞬にして、
一緒にいることが出来なくなった人々。
何時終わるかも分からない普通の生活の大切さ。


自粛の理由
せつなさ。

行方不明の方がまだいる。
探している人がいる。
(書けない・・・)


何かをしてあげたい?
今回はそんな他人事ではない。
日本中、世界中、必ずどこかで、

何かで繋がっていてお世話になっている。


何かをしなければ。

ボランティアもあるが、

一生懸命に自分の出来る事(仕事)で働くこと。

ずるいが、それで後ろめたさや、

罪悪感、不安を消している部分もある。


しかし、

日本の産業構造は、
サービス産業が大きな割合を占めてしまっている。
娯楽や余暇、遊興に関係する仕事も多い。

製造業にしても、生活基盤になるものの他、
娯楽や趣味、嗜好に関わるものも多い。

社会が正常に機能しているときにはいい、
でも、事がおきると厳しい・・・。

自分の仕事の存在価値、必要性に疑問が出てくる。

それでも、自分の仕事の存在価値を見出して、
その道で、どこかで繋がる誰かのために働くしかない。


すでに、
赤十字に集まった東北義援金だけでもすごい。


しかし、復興に必要なのは、
数兆円、数十兆円。

(それでも人の命は戻らない・・・)


無駄なものを買う必要はない。
無駄な電気も使う必要はない。


でも、
貨幣は、止まっているとその価値は少ない。
貨幣は、動き出して意味がある。


みんなが、「いっせいのせ」で隣の人にお金を渡せば、
少なくても常にお金があり、不安はない。


どこかが止まれば、次の人は不安になる。
そしてまた止まる、連鎖して経済は衰退する。


義援金を早く、

被災地に集中させて、復興事業を起こし、
被災者に仕事を作り貨幣を回す。


そして、

義援金、救助、援助をいただいた
世界の方々には、資材の調達その他、
その国々の物を輸入することなどで外貨を返さなければ。


(つづく?)


被災地が情報を欲しているときに、
ラジオから聞こえてくる歌手の声。


地震の時の恐怖、
家族を失った悲しみ、
続く余震、原発事故、停電、
出口の見えない将来の不安、
経済の衰退、
被災地だけではなく、
日本中に不安が広がっている。

心が落ち着かない。


好きな歌が流れると、、
ほんの少しの間だけれど、
脳が声に、歌に反応し、

恐怖や悲しみ、

不安を忘れさせてくれる。
一瞬でも心が平穏を取り戻す。


だから、彼女は、
ラジオから精一杯、叫び続ける。

翼は折れても、
心が折れてしまわないように。

ニュースにはならなかったけど、

他にも試験会場で不正行為で失格になった人だっていたかもしれない。

彼らは、今、捕まって良かったと思う。

今は何で俺だけと思っているかもしれないけど。


あまり重い罪に問わないであげてほしい。

社会奉仕程度で何とかならないのかな。

少なくとも京都大学受けるだけの頭があれば、

いくらでもやり直せる。

私も、浪人経験がある。

ひとりでどうしようもない不安にもなった、

落ちたらこの世の終わり、

ぐらいに感じたし、

出来ることなら、

代わりに誰か受けてくれとも真剣に考えた。


今回のカンニング方法は、

ちょっと考えれば、

直ぐにばれるのはわかりそうなものだけど、

そうとう追い込まれていて考える暇もなかったのだろう。


きっと模試か何かで使ったて、

成功した手を安直に使ってしまったのかもしれない。


私の時代は幸か不幸か、

まだ、携帯がこんなに普及して無い時代だから、

カンニングするとしたら、

カンニングペーパーを作るか、

前後、左右の受験生のを覗き見するぐらいしか方法が無かった。

カンニングペーパーを作るには受験問題は範囲が広すぎた、

その作業量は莫大で途中であきらめるし、

目が合うかもと思えば周りを見る度胸などでなかった。

ネットは簡単で便利、

ボタンを押すだけで時には、

重大な結果を招くことをもっと教えないといけないと思う。
彼らだけの責任ではない。


カンニングした人は、

他にもいたかもしれない。

もっと巧妙な方法で、

絶対にバレない方法だってあるかもしれない。


0か1000かもっと大勢か、

私には全く見当がつかないけど、

少なくとも、本人は判っている。


もし、いたとしたら、

そしてその人たちが、

この先も、

カンカンニングし続けるなら、

絶対に見つからないように。


見つかったら、

今回、見つからなかったことが、

台無しになる。

拾ったラッキーを無駄にしないように。

それから、もう一つ、

社会にでると、

カンニングしたくても何処にも答えがなくて、

ネットで調べても、

見つからないものが沢山ある。


結局、

自分で考えて、

新しく導き出したものが、

全てだったりする。


せっかく入った大学です。

誰かの問いに答えてあげられるくらい勉強してほしい。