26年前の12月(2000年12月)初子を産んだそのちょい前、ヨガに出会った。マタニティーヨガってやつである。当時24歳。


 ヨガはええでー。←ここでブログを終えてもいいのだがもうちょっと続けていい?ありがとう。


 ヨガは自分軸を取り戻してくれる大切な時間だ。なんせ、頭に数十本アンテナが立ちっぱなしみたいな人間にとって、社会はとても疲れる場所でしょ? 妬み、嫉(そね)み、虚飾、強欲、不安、渇望、怒り、などなど、「感謝と充足」からは程遠い感情が街に溢れている。


 肉体を持たないと地球上では生きていけないから、肉体を持って今は生きているのだけど、そうすればどうしても身体の回りに空気のようにまとわりつくこれらの悪い感情に時々感化される。時に自らそれらを放ちつつ。


 そういった感情を一層してくれるのがヨガであり時々やるデトックス的な食事(軽度の断食後、砂糖・肉の塊を排除した食)だ。


 身体は魂(心)の入れもの。人は身体と魂の半々でできていると思うので、身体が調子悪いときは心を、心の調子が悪いときは身体をきれいにしてあげると、残り半分がつられて元気になっていくと私は感じている。


 生きるだけで時々襲ってくる悲しい感情で潰されそうになるときヨガの1時間は荒れていた心を穏やかにしてくれる。「そのままで生きていいよ」と肯定してくれる。


 シャバーサナは、ヨガマットにごろんと仰向けになって目を閉じるヨガのラストのポーズだ。すべての筋肉を滑らかにしたあと、このシャバーサナで全身を脱力し、心の中の銀河へ静かに入っていく。


 ヨガの先生は「シャバーサナのために他の全てのポーズがある」と言う。シャバーサナとは、日本語で「亡骸のポーズ」である。つまり1時間の全身の筋肉の緊張弛緩を繰り返すレッスンは理想的亡骸のポーズになるためにあるのだと。


 これって人生よね、と今日レッスン中に思った。「満足して力を抜いた死」のために今は緊張したり不安がったり笑ったりして生きている。


 緊張したり不安になったり妬んだりしていいんだよ。人間だから。でもそこに囚われないで、なるべくすぐに本来の穏やかだった頃の自分に戻ること。そうしたら闇に落ちないで済む。


 先日ふっと夜の国道に犬を置いて飛び込みたくなった。シーズーのフウタが地べたにへばりついて動かなくなってくれて、我に帰った。そんな闇からなるべく遠くにいたい。なるべく与えられた寿命をちゃんと生きてみたい。


 だから今日も、またヨガをする。すてきな亡骸になるために、今は生きたままできるシャバーサナの時間を大切にしたい。


・シャバーサナ亡骸となりシャバーサナ私のなかの宇宙に浮かぶ


(俺、実は神やねん。)そうやねん。

じゃあまたね👋

今、ここが天国。