EHIME PENTA MILITARY BASE

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愛媛PENTA軍基地広報課

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 12月14日に行われた衆議院選、結果は自民党の圧勝だったが、約52%と戦後最低の投票率だった。そんな中でやはり叫ばれるのは「若者の政治離れ」。
 私自身、高校生という若者だ。(Twitterの小4みたくじゃなくホントですよw)では、周りの友人をみた時に、政治に興味関心が一切ない子がいるかどうか、これは残念ながらいる。というか、そっちのほうが多数派になる。では、バカな子ばかりかといえば、そうではない。皆、マニュフェストを読み、また今の日本の現状を理解できる子だ。では、彼らがなぜ、政治に興味が無いのか。それは、「若者が政治を信頼しきっているから」である。マスコミは、政治への不信をよく口にするが、それは間違えだ。「良い候補者がいないから、選挙に行かない」というのは、「悪い候補者が当選してもまぁ、私達の生活に影響を及ぼさない」という盲目的な信頼だ。
 私の友人がよく、「韓国、中国は悪い国でしょ。」と私に言ってくる。しかし、彼らは決して「韓国、中国に屈する日本の政治はダメだ。」とは言わないのだ。私は昨今の、若者を中心にしてナショナリズムが広がる理由もここにある気がする。
 彼らの「ヘイトスピーチ」では、政治を批判の対象にしようとしない。在日特権について議論を深めようとしない、それら触れにくい問題を避けている政治に対して怒りをぶつけるのではなく、在日韓国人などに直接暴言を吐くのだ。ここにも、「政治は悪く無いだろう」という信頼が有るのだ。
 では、なぜ、若者は「政治を信頼」するようになったのか。それはマスコミの責任だと思っている。テレビニュースでは、痛ましい事件や、政治の問題に入る時、最近では「一体どうなってしまうのでしょうか。」と今現在、まるで想定外の事実が起きているかのように伝えようとする。それを見ると、政治は私達の気付かないところでなんとなく活動してるものなのに、いきなり私達の生活に牙を向いてきた。という風な印象を受けてしまう。
 しかし、本来権力というのは、いつ暴走してもおかしくない代物だ。実際、権力というものが安定して運用され始めたのはごくごく最近のことで、世界の中には未だ権力の暴走に苦しんでいる人たちも大勢いる。ここ日本でも、ほんの数十年前には、「一億玉砕」と戦争へと権力が突き動かした歴史がる。
 本来、マスコミはそのことをわかった上で「こんなことが起きている」と報告するべきだろう。しかし、今のマスコミは「私達も知りませんでした。まさか、こんなことが起きてしまうとは予想外でした。」と言うだけである。
 若者の政治離れを叫び、若者の無教養さを嘆くのもいいが、自らの使命を思い出してほしい。
(いや、将来マスコミの人間になろうとしている人間としてほんとにw)
 耐えろ、逃げてもいいんだよ
これらの言葉はいじめ問題でよく被害者に向けての言葉でよく見かける。
 しかし、今の「いじめ」に逃げる場所はあるのだろうか。
 先日、福岡県内の学校で裸の男子高校生が同級生4人に蹴られている動画が投稿されていたことがわかった。
 いじめの有無は調査中だが、これがいじめだとすると、どこに逃げろというのだろうか。耐えた先に何があるだろうか。
 小さな世界で完結していたものが、今、途方もない大きさな世界とリンクされつつある。リベンジポルノもその例だろう。
 今、教師や学校は発想の転換をせねばならないのではないか。
 クラスを表面的に見て、好調だと思い込む持つ教師は多い。
 しかし、教室で問題が起きていないからといって、いじめはないと断言できる時代はもはや終わりつつある。
 また、根気強く、ゆっくりと加害者と被害者の関係を見直す従来のやり方では、裏で取り返しのつかない事態が起きてしまう。
 大きな世界にリンクされたいじめでは、法律などの専門的な問題もでてくる。学校だけで解決する考えも通用しなくなってくる。
 昨年、施行された「いじめ防止対策推進法」で、学校は、複数の教師、専門家を含めた組織を置くことが定められているが、それら組織が設立されていない学校も多数ある。
 教師自身も、いじめに対する考えを見つめることが必要だ。
 最近、理系離れ、という言葉をよく聞く。確かに、日本を支えているのは技術力であろう。その技術力が失われる、ということになれば日本は立ち行かなく成る。理系嫌いが進んでいるのであれば、それを早急に改善しなければならないのは当然だ。
 しかし、文系の高校生の私が周りを見ると、「文系離れ」方が深刻ではないか、と思わされる。哲学、政治に興味を持っているこは40人ほどのクラスで2,3人ほどしかいない。読書といえば、携帯小説やライトノベル、漫画といった「軽い読み物」だ。ロシア文学、フランス文学を読んでいる子はほとんどいない。つまり、理系教科が嫌いだから、文系に進んだ。文系教科が得意だから、文系に進んだ。という子がほとんどなのである。文系教科が好き、政治をどうにかしたい、と主体的に思っている人などは少数なのだ。
 理系を見ると、どうだろう。将来医者になりたい。将来科学者などと具体的な夢、具体的な将来のビジョンを見据えている子が多い印象だ。
 そう考えてみると、ノーベル物理学賞や化学賞、医学賞は多数の日本人が受賞しているが、ノーベル文学賞では大江健三郎が受賞して以来、日本人の受賞者はでていない。JAXAのはやぶさの帰還、金環日食などの天体ショーとなれば、テレビ等のマスコミで取り上げられ、子どもたちも空を見上げる。しかし、選挙に投票する若者たちは年々減少している。
 理系教科に親しみを持たせる、理系の有能な技術者を育てることも必要だろう。しかし、技術者たちが健やかに、そして効率的に働けるよう時代に合わせてしくみを変えていくのは、法律の役目である。今後、科学が発展するにつれ、倫理的な見方はますます必要とされる。
 文系と理系はまさに日本の両輪として働いていないといけない。技術力が欠落した日本はありえないのと同時に、技術力を活かすしくみが決まらなければ、技術力はますます海外流出を起こすだろう。
 日本の未来に向けてすべきことは、理系教科を好きになってもらう。歴史に親しめる、というような狭い範囲の教育論ではなく、もっと根本的な解決を図らなければならないのではないか。将来、こういう風に働きたい、この教科が好きだと思える子ども達を増やしていく。もしくは、自分という意識をきちんと持てるように子ども達を育てる教育が行われるべきだ。