こんにちは、やまけんです。

 

 

今回は、映画『ジョーカー』に関する個人的な感想・考察を書いていきたいと思います。

 

 

あらすじや映画情報等はすっ飛ばしますが、ネタバレも一部ありますので、まだ観ていない方は十分ご注意願います。

 

 

私は主人公アーサーの個別具体的な例から、ジョーカーというものの普遍性を感じました。

 

 

この世の中で苦しんでいる人は、因果によって苦しんでいるとは限りません。

 

 

悪いことをしたから、過ちを犯したから、その結果として苦しんでいるとは限らないのです。

 

 

生まれながらにして、資本主義という大きな枠組みの中で、

 

 

恵まれているか、恵まれていないか、と言うのはある程度決まってしまうという側面もあるかと思います。

 

 

どの国に、どの両親の元に生まれるか。私は親ガチャという言葉は心底嫌いですが、そういう言葉が出るほど、運というものは大切だというコトには頷けます。

 

 

だからこそ、ジョン・ロールズのように無知のヴェールを持ち出し、弱者を救済するための正義論の考え方はとても重要だと考えます。

 

 

他者との比較を前提にするならば、善行を積もうが何だろうが、不幸な境遇のもとに生まれて、不幸な境遇のもと育っていく人がいるのも事実としてあることなのだと思います。

 

 

そういう人間が善良に生きれども、幾度足掻こうとも、挽回の余地が与えらえれず、ましてやそうした境遇についてバカにされ、笑われようものなら、ジョーカーのような存在が誕生してしまうのも理解できなくはない。

 

 

窮鼠猫を噛むとはよく言ったものです。

 

 

ジョーカーは、我慢の限界を超えることで、それまでに鬱積していた負のエネルギーが解放された狂人的な存在なのだと思います。

 

 

このような理解に立てば、ジョーカーというものは、普遍的であり、いつどこに湧いて出てきてもおかしくないということが良く分かります。

 

 

現に、アーサー以外にも、長い歴史の中で、無数のジョーカーが出てきたはずです。

 

 

ユダヤ教を生み出した古代イスラエルの人もそうなのかもしれないし、奴隷解放を目論んだスパルタクスや、映画『タクシー・ドライバー』のトラヴィスもそうですね。

 

 

当たり前のことなのかもしれませんが、ジョーカーは時空を超えた実体を伴う概念であり、Joker actually is all aroundであるということに改めて気づかされました。

 

 

長い歴史の中に登場したジョーカーの内、無名な者もいれば、歴史に名を刻んだ人間も沢山いるのでしょう。

 

 

ジョーカーが多くの人の苦しみを代弁する存在であれば、カリスマ性が宿っていることも少なくないでしょう。

 

 

そして、何百年の時が経過すれば、ジョーカー側こそが正義だったと見直されることも大いにありうるのだと思います。

 

 

例えば、フランス革命は良い例ではないでしょうか。

 

 

フランス革命勃発前、アンシャン=レジームの下、庶民は聖職者と貴族に搾取されていました。

 

 

搾取され尽くし、困窮した庶民の中から、ジョーカーが誕生し、その掛け声に大勢が呼応し、その熱がフランス中に伝播し、ジョーカー側が大勝をおさめたケースだと私は見ています。

 

 

革命後、ルイ16世及びマリーアントワネットをギロチンの刑に処したのは、まさにジョーカーのような狂気ぶりであると感じます。

 

何より、処刑の様子を、大衆も熱狂し、罵声を浴びせながら見ていたのが、ジョーカーっぷりを象徴していると思います。

 

 

さて、話がフランス革命の方に流れてしまいましたが、映画『ジョーカー』との共通点が結構あるように思えるのです。

 

 

トーク番組の司会者であるマレー・フランクリンが射殺されたシーンは、ルイ16世及びマリーアントワネットが処刑されたシーンと重なります。

 

 

そして、マレー射殺後には熱狂した大衆が街を占拠していたことも、ギロチン処刑を熱狂してみていた大衆と重なる部分があります。

 

 

フランス革命が勃発した当時は、正義は体制側にあり。反乱を起こすジョーカーどもは、極悪人として映ったでしょう。しかし、現代の私たちから見れば、よくぞフランス革命を成し遂げ、近代の礎を築いてくれた、という印象を抱くのではないでしょうか。

 

 

つまり、ジョーカー側に正義あり、と今となっては見れちゃうんですよね。

 

 

このように、善悪という判断は、オセロの盤上の石のように白黒変わることもあり、実に複雑であります。

 

 

『レ・ミゼラブル』のジャベール警部は、生涯を通し正義や善を信じていたが、罪人であるはずのジャン・バルジャンの善行によって、ジャベール警部の価値基準が大いに揺るがされ、自らの信念に疑義が生ずることで最終的には自決に至ってしまいます。

 

 

正義や善と言うものは、それほどに心許ないものなんだろうなぁ、と改めて感じました。

 

 

だからこそ、一人のジョーカーが立ち上がることで、それに呼応する人物は沢山出てくることもあるのだろう。

 

 

最近は、多様性が重視され、一人一人が尊重される風潮になっているので、改めて正義論をよく理解し、どのように立ち振る舞うべきか考えたいなと思いました。

 

 

というわけで、今回は以上です。お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

やまけん