こんにちは、やまけんです。
今回は、
【なぜ対話をすると一気に世界が広がるのか】対話はセレンディピティを呼ぶ
というタイトルの記事を書いていきたいと思います。
少し前に、学び初めに何が起こるかということを書いており、それと関連する内容です。
私たちは、新しい知識を取り入れると、現状の世界観から分離を起こし、一時的にカオスを味わい、それから取り入れた新しい知識と既存の知識が上手く結合されていくのではないかという私の仮説についてお話ししました。
対話の効用、可能性について本記事で述べていく上で、学び初めに何が起こるかの記事は参考になると思うので、ぜひご覧ください。
さて、対話がセレンディピティを呼ぶとはどのようなことでしょうか?
具体例を見ていきましょう。
まず、A氏とB氏が対話をしていると仮定して、対話している以上、両者に相手に協力したいという意図があることを前提します。
その上で、A氏が「社会学って面白いんだよ。」とB氏に言ったとします。
しかし、B氏の中には、ほとんど社会学の情報がありません。ただし、協力の意図はあるので、こう返します。
B氏「へぇ。社会学のどこがおもしろいの?」
A氏「社会学って一概に説明するのは難しいけど、自分自身は、自明性を破るところに魅力を感じるんだよね。今私たちが当たり前だと感じているものが、実はそうではないよっていうのが歴史的な文脈を踏まえて紐解かれていくとすごく面白いんだ。僕を絶対的に縛っていると思い込んでいたものも、相対的なオプションの一つに過ぎないって分かった瞬間に、ポーンと肩の荷が下りたりするんだよ。」
B氏「え!自明性を破るっていうのは、芸術の発想と同じじゃないか!僕も芸術をやっている人間として、自明性を打ち破る作品を創りたいと思っているんだけど、イマイチうまくいってなくてね。。社会学は具体的にどんな風に自明性を破っている例があるの?」
A氏「例えばね、・・・。。」
B氏「そうか、歴史文脈をしっかりと捉えた上で、今ある常識に疑問を呈すというのは、僕の芸術にとって、欠けていたところかもしれない。。。社会学、勉強してみようかな」
などという対話が繰り広げられる可能性があるわけですね。
これは、学び初めに何が起こるかの記事で起こることと全く同じことが起きています。ですが、分離⇒カオス⇒結合までの流れが極めて速く流れているのが分かります。
最初は、「社会学」なぞというものに全く興味のない、つまり「社会学」を異物として捉えているB氏が、
A氏の話を聞く中で、自分自身の世界観に異物を混入させることを受け入れる。ある種、既存の世界観の分離が起こります。
そこで、話を聞いているうちはカオスが生じます。
ですが、聞いている内容の中に、何か自分の既存の知識と符合するキーワードが入っていれば、そこに結合のチャンスを見出します。
「自明性を破る」このキーワードだけは、B氏も常に関心を持っている内容だったので、ビビッと来るのです。
そして、A氏のアシストもあり、B氏は無事に今までの自分の世界観に、上手い形で「社会学」を結合し、呑み込むことができたわけです。
しかも、少ない対話の中で、B氏は自分が社会学を学んでみる意義まで見出すこととなったのです。
逆に、もっと上の具体例の会話が続けば、今度はA氏が芸術をもって自明性の破壊を表現する方法を学びたいと感じるかもしれません。
このような結合には、新しい知識が必ず必要であり、新しい知識は必然的に他者によってもたらされるのです。
そして、その幸運の結合こそがセレンディピティとなるのです。ですから対話がセレンディピティを呼ぶのです。
「相手が何に興味を持っているのか?」
それは思いがけず、あなたの世界を広げてくれるブースターとなるかもしれません。
私も対話を大切にしていきたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございます。
やまけん
