こんにちは、やまけんです。
今回は、新しいことを学び始める時に何が起こるのか、という自分の考察を書いていきたいと思います。
私は、これまでの記事でインスピレーションを大切にすることで、どっしりした安定感・安心感を味わっていると書いていました。
ところが、最近、それが少しだけ崩れた時があったような気がしました。
そしてつい最近、私は社会学を勉強し始めたので、それが何かしら不安定さと関係があるのではないかと考えました。
というわけで、今回は新しいことを学び始めたときに起こっていることを私なりに考察していきます。
まず、新しい内容を学習するということは、それが新しいものであるがゆえに、これまでの自分にとっては異物ともとれるわけです。
私たちの人体の場合であっても、生体の恒常性を保つ為に、不必要あるいは有害な異物などは速やかに排除されるような排除機構を有しています。
私は、知的な異物、情報としての異物であっても、ある程度、このような排除機構は働いているのではないかと思います。
例えば、強い負の感情を伴う体験を抑圧し、無意識領域に追いやるフロイト的傾向などは、それに該当するのかもしれません。
何はともあれ、新しいことを学ぶということは、それは、私たちにとってある種異物の混入であり、そのために、脳が普段以上に反応するのではないかと言う仮説を持っています。
私は新しいことを猛烈に学ぶ時は、身体も疲れ、肩も凝るのですが、それは脳が活発に働いていて、脳疲労が起きているからなのかもしれません。
ですから、ちょっとだけ安心感・安定感が揺らいだのではないかと感じます。
また、新しい内容を学ぶという事は、分離を意味します。
どういうことかと言うと、これまでの自分の世界観からの分離を意味します。
例えば、社会学の知識が入り込んでくるという時、今までの自分には未知な世界観が入り込んでくると言い換えることもできるわけです。それは、ある種、今までのなじみのある世界観を壊すこととも言えるわけです。
そして、このような分離に対して、人は不安を感じるものなのかもしれません。
また、分離をした後には、必ず結合が起きます。
新しい情報的異物が脳内に入ってきて、それらの新情報が既知であった情報と上手く結合し、新しい知の塊を形成するのです。
その新しい知の塊の形成、つまり結合は、即座になされるわけではなく、時間差でなされていきます。
しかも、結合される知の塊は、レイヤー(層)も分かれており、浅いレイヤーでの結合、深いレイヤーでの結合等にも時間差が生じます。
分離が先に生じ、その後から徐々にあらゆる結合が起こっていくわけです。
そのような場合、分離が生じて、綺麗な結合が生じるまでの間に、一時的にカオスが生じます。
知的異物が混入しているにもかかわらず、自分自身それにどう対処したらよいのか分からない不安定な時期が発生するのです。
その間、無意識領域が、一生懸命整合性を保ったり、新しい結合を創ろうと頑張って働いてくれるので、いつも以上に疲れやすさを感じるのではないかと思料します。
このように、新しい学びは、不安定さや疲れやすさを導く要素があるのではないかと考えたわけです。
私が尊敬する学者たちも、どこか憂鬱気質で、いつもどことなく疲れているような表情をしている人たちがとても多いです。
これは、新しい知識をどんどんと取り入れていることにより、積極的にカオスを形成し続けているからなのではないかと思うのです。
そして、カオスを許容する能力こそ、ネガティブ・ケイパビリティというやつではないかと思うのです。
学びによって不安定になるから、疲れるからと言って、私が学ぶことを辞めることはないでしょう。
なぜかというと、新しく形成される知の塊は、有り余るほどの報酬であるからです。
知の塊が形成されることで、社会学の場合は、世の中に対する解像度が一気に上がります。
これがとても爽快なので、私は積極的に分離し、カオスを引き起こし、結合を心待ちにするのです。
もし、このようなことについて学術的な理論があったりすれば、ご存知の方はご教示いただけると幸いです。
今回は、以上とさせていただきます。
お読みいただき、ありがとうございます。
やまけん