書くということの変転性について述べていきたい。
今ぼくはこうして文章を書いている。
確かに自分の意思によって書いているような気もするのだが、
しばらくしてから見返すと、不思議と自分自身が書いたような気がしないことがよくある。
何か、べつの何かによって書かされているかのような感覚である。
そしてまた、書いた内容というものは、常に意味を変幻自在に変えていく。
自分自身もつねに変容を重ねており、一文字一文字に込められる意味合いが、その時々によって変転していくためであろう。
こうした変転性が常につきまとうのが言葉や文章であり、
本来的には言葉や文章というのは自らの考えを固定化し、記録をするためのものかと思いきや、
固定したはずの言葉がつねにダンスを踊って変幻するのが実情だ。
これは人間の意識や意思を固定することの不可能性を物語っている気がする。
すると、教科書で規定されている物事というのは、固定されてあるように見え、
本当に固定できるものなのか不思議に思えてくる。
科学というものは、その微々たる変動幅を無視することによって成り立っているものであり、
そこには常に若干のエラーが生じていくのではなかろうか。
その機微を掬い上げ、再び息吹を吹き込むのが文学や詩の役割なのかもしれぬ。
書いてみるという行為からそんなことが想起されるのである。
そして、自分の身から出たはずのこの言葉や文章も、
明日には遠く他人のような存在になり果ててしまうのであろう。
僕らはそんな、無限変幻の中に生きざるを得ないのだ。
そのことに自覚的になり、謙虚に生きようと思う。