こんにちは、やまけんです。
今日は、「安全・便利・快適の罠 その裏で失われているモノに想いを馳せよう」というテーマでお届けします。
私たちは、日々、安全・便利・快適を志向して行動を選択します。
そして、これはほとんど無意識の内に選択されます。
人間は怠惰で、目先の快を無意識的に選んでしまう習性があるからです。
ですが、物事には必ず光と闇、表と裏の部分があります。
安全・便利・快適を選ぶことで、その裏では悪いことも必ず発生しているのです。
例えば、私たちは古くは着物を着ていました。日本の文化でした。
ですが、洋服の方が手軽に着れて、快適なので、私たちは無意識の内に着物を着なくなります。
すると、どうなるか。瞬く間に、着物を自分で着ることが出来ない人が増えます。
そうして、日本文化が徐々に色あせていくのです。
安全・便利・快適に身を任せて、安易な方に流れると、あとで後悔しても後戻りは難しくなります。なぜなら、着物の例のように、旧来の方法は安全・便利・快適ではなく、私たちにはそれを取り戻す能力がなくなってしまっているからです。着物は教わらないと着れなくなってしまうのです。
私たちは、食糧についても安全・便利・快適なシステムに依存しており、豊葦原瑞穂国にも関わらず、食料を自給することすらできません。
昔はあった文化・風習も、安全・便利・快適なシステムの中に私たちが飛び込むことで、どんどんと失せてしまったのかもしれません。
システムがちゃんとして、安全・便利・快適が提供されればされるほど、人は協力しあわなくても、一人で生きていけると思いがちです。
コンビニに行けば何でも買えます。本当に困ったら行政に頼ることもできます。
変に人同士が協力し合うと、その関係を維持するのに「コスト」がかかり、安全・便利・快適が失われると思います。であれば、システム(コンビニ・行政)に寄りかかろうと思うのです。
その結果、リアルな人間関係は失われ、隣に誰が住んでいるかさえ分からないようなことすらあります。
また、それは自分一人で生きていけているわけではなく、あくまでもシステムに「依存」しているにすぎません。むしろ、前よりも生きる力は弱くなっており、いつ崩壊するか分からないシステムに依存しなければ生きていけなくなっているとも言えるのです。
今後は、AIの発展により、ますます安全・便利・快適な未来が保障されているのではないでしょうか?
ですが、その代償として我々は何を失っているのか?安全・便利・快適にただ飛びつけば良いのか?
このことに想いを馳せることは極めて重要だと思います。
それでは、今回は以上です。
お読みいただき、ありがとうございます。
やまけん