こんにちは、やまけんです。


今回は、「誠実さの逆説」というテーマで書いていきたいと思います。


初めてスマホで書いてみようと思います。


よろしくお願いいたします。


さて、「誠実さの逆説」とは、社会学的な内容の一つであり、井上俊氏『文化社会学界隈』に記載のある内容です。



誠実さの定義は、その人の実際に感じていることとその人の言明が一致することです。


しかし、この誠実さは、大きな逆説を孕んでいます。



それは、二つあります。



一つは、誠実さが社会的に求められれば求められるほど、自分が誠実であることを世間に認めさせるように演技をしなくてはならなくなることです。


誠実であろうとすればするほど、自分を偽ることになります。


二つ目は、誠実さが社会に定着すると、「誠実性は道徳性なり」というイメージが定着することです。


誠実であろうとする人は、そのラベリング効果にもより、演技の塊である社会秩序に反抗することが出来なくなっていきます。



そこでトリックスターのような、秩序の破壊者が輝く時が来るのです。



彼らは、偽りだらけの既存秩序を破壊する一方で、文化的な英雄という2つの側面を持つことで知られます。


現代のトリックスターには、みんなが薄々偽りだらけだと感じている既存物に堂々と切り込むだけの不真面目さ(ある意味では誠実さ)や他人をおちょくるような側面が必要になってくるのです。


ですから、一見、他人をおちょくっているかのように見える人物が脚光を浴びたりすることもあるのです。



私には2ちゃんねる創設者のひろゆき氏や堀江貴文氏があそこまでウケているのは、トリックスター的な性質があるからではないかと思います。



そして、以前、「カリスマとは何か」の記事で書きましたが、トリックスター性は、カリスマに必要な1要素でした。





あまりに真面目、誠実というのも、あまり人は惹かれないのかもしれませんね。



今回は以上とさせていただきます。

お読みいただき、ありがとうございました。



やまけん