こんにちは、やまけんです。

 

 

他者との比較は、人生を消耗してしまいます。

 

 

他者と比べて欠けているところにフォーカスするのではなく、自分の良さをどんどん出していけるように、記事を書いていきたいと思います。

 

 

それでは、内容に入っていきます。

 

 

まず、大前提として、人々は似ているように見えて、全くの別物です。

 

 

野菜で例えるならば、ニンジンとキュウリくらい、違うんですよね。似ているのは、野菜を包んでいる包装紙のみ。

 

 

表面だけを見ると、私たちには、眉毛も目も鼻も口も顎も首も腕も手も胸も腰も足も、共通してあるし、どうしても非常に似たものとして認識してしまいがちです。

 

 

ですが、似ているのは、その表面だけで、中身は全くもって違うのです。ニンジンとキュウリほど。

私たちのパーソナリティを形成しているパラメータは超膨大であり、同じような人などいるわけがないのです。

 

 

そもそもが別物なので、比べることは本来は不可能なはずです。

 

 

ニンジンとキュウリが互いに比較して、自己肯定感なるものを作り上げ、それが高い低いと自らが判断していたら、劣等感を感じていたとしたら、ちょっと面白いと思いませんか?

 

 

キュウリ「いやぁ、ニンジンさんに比べると、僕はまだやわなんだよなぁ・・・。。」

 

 

まぁ、本当にそのくらい人と自分を比較するのは、本来的にはおかしいことなんです。

 

 

これは声を大にして言いたいのですが、あなたにはあなただけの溢れんばかりの魅力があります

その本当のあなたらしい魅力は、あなたに見つけられ、活躍することを心待ちにしています

 

 

ですが、それを阻んでいるのが、「他者との比較」や「他人の目」という曲者です。

 

 

なぜ、多くの人に比較する癖がついてしまうかというと、

 

 

社会によって人々が比較されている(というビリーフを抱えている)からです。

 

 

その比較基準・モノサシは非常に限定的なもので、人間の本当にごくごく限られた部分を推し量るものでしかありません。

 

 

例えば、学歴であったり、地位であったり、お金であったり、所有物であったり、容姿であったり、論理的思考力であったり、プレゼン力であったり、勤勉・真面目さであったり・・・。

 

 

野菜で例えるなら、ビタミン含有量、水分含有率、色合い、持ち具合と言った、ごくごく限られた基準で、野菜そのものの価値を測られているようなものです。

 

 

これらは、比較する側にとってはメリットがありますが、比較される側にはメリットがありません

 

 

比較される側では、ごく一部の、その要素においてたまたま秀でていた人間が、得をするだけでしょう。

 

 

野菜・果物で言えば、「ビタミン含有量」が比較基準として選ばれるなら、レモンがたまたま得をするだけです。

 

 

ですが、その得をした人も、別の要素で比較されると、劣っていることは往々にしてあるわけで、全体としてみると、比較される側にはさほどメリットがありません

 

 

溢れんばかりの魅力を有するあなたが、こんなチンケな基準で定義づけられて、メリットがある訳がありません。

 

 

この「比較をしよう」という考え方は、「比較をする側の都合によって作られた操作的な」モノなわけです。

 

 

会社経営者であれば、

 

真面目で勤勉であるか、という指標で社員を比較すれば、社員同士が真面目で勤勉であろうと競い合い、サービス残業する者まで現れたりして、経営側が結果的にメリットを享受することができます。

 

 

某アイドルグループなどであれば、

 

容姿で比較すれば、みんなが可愛くなろう、かっこよくなろうと必死に努力するわけで、経営側が結果的にメリットを享受することができます。

 

 

新卒採用の面接官であれば、

 

学歴や保有資格など、ある特定のモノサシを使って比較すれば、採用効率がガクンと上がる上に、それなりに会社にとって有用な人物を篩にかけることができるわけです。それによって傷つく学生がたくさん出るとしても。

 

 

会社の場合も、

 

基本的にはピラミッド構造を有しており、上から下への指揮系統がしっかりと機能するようにするのが一般的です。その場合、上に立つ者が有しておくべきスキル・経験を特定しておき、それらを比較すれば、簡単に配置をつけることができるわけです。そして、下に配置される者同士が、互いに競い合うような、比較基準も設け、彼らにもがむしゃらに頑張ってもらうのが普通なわけです。

 

 

金融系の会社であれば、

 

お客さんを保有資産額でランク付けして、高所得者層に対して営業をかけやすくするのはメリットがあります。ですが、比較される側が、誰々と比べて自分はお金持ちだ、貧乏だ、なんていう比較が果たしてどう役立つのでしょうか。。

 

 

 

このように、社会の至る所に、比較する側に有利な比較論理がはびこっています

 

 

それは比較されるものを利するものではなく、比較する側を利するための装置です。

 

 

資本主義の論理の枠組みの中では、私たち人間は、代替可能な「消耗品」「在庫」「資産」に過ぎず、比べられ、より良いものがあれば代替されてしまうのです。

 

 

そして、そういう比較する側を利するための装置を、比較される側が当たり前のものとして呑み込んでしまうと

 

 

他者と比べて優位にあるために、とにかく頑張るという行動を続けることになります。

 

 

そして、そこで打ち破れる者は、まるで自分に価値がないかのように錯覚してしまうのです。

 

 

かつての私自身が採用していたこの生き方はとっても苦しいものでした。

 

 

なぜなら、キュウリがニンジンと比べること自体がそもそもナンセンスだからです。

 

 

キュウリが、ニンジンのように固くなりたいと思っても無理なんです。

 

 

というか、そもそも、そうならなくても良いんです。

 

 

資本主義の論理に支配され、自分の価値を疑う必要はありません。人間ひとりひとり、本来は他との比較に晒される消耗品などではなく、価値ある存在なのです。

 

 

押し付けられた比較基準が、誰にとってメリットのあるもので、本当にあなたにとってメリットがあるかをよく吟味すると良いでしょう。

 

 

そして、押し付けられたという自覚がない、自分自身でこしらえた比較基準・モノサシについても、メディアなどを通して、何らかの形で他者の思惑が入り込んでいるはずです。

 

 

勝ち組・負け組などと言ったメディアが拡散した考え方も実にくだらないものです。

 

 

「美」についても、特定のイメージを勝手に創り、持ち上げることによって、美容業界、ファッション業界等が大変動きやすくなるのは自明のことです。

 

 

比較するところに見え隠れする他者の思惑に敏感になればなるほど、自分を他者と比較して自らを卑下することが、いかにバカらしい事かが良く分かります

 

 

そして、「他人がこしらえた比較・競争に明け暮れるよりも、誰とも競争せずに自分らしい成長をしていく方がよくない?」と思えるようになるでしょう。

 

 

比較の論理に漬かる時も、他者によってそうさせられるのではなく、自らの選択で、それを選び取ることが肝要かと思われます。

自分にとってメリットのある比較論理の中に飛び込むのはアリです。あなたがレモンなら、ビタミン含有量や酸っぱさが最重要視される場所を見つければよいのです。

 

 

 別の話になりますが、私がよくチェックしている山口周氏は、

 

 

筋の良い努力、筋の悪い努力というものがあると言います。

 

 

そして、筋の悪い努力をしている人ほど、「あいつは一所懸命やってるな」って周囲の人たちに言われるらしいです。

 

 

一方で、筋の良い努力をしている人は、周りから見ると努力しているようには全く見えないと言います。

 

 

だから、筋の良い努力を始めるには勇気がいると。

 

 

これを聞いて、私は「はぁーなるほど。」と思いました。

 

 

「あいつは一所懸命やっているな」と思われるのはなぜかと言うと、

その土俵が、他者がこしらえた競争・比較の土俵だからです。

 

 

誰かを利するための比較基準の中で、がむしゃらに頑張り、他者より優位に立とうと努力している

 

 

その比較基準を意識している人は多いので、その努力が多くの人の目につくということだと私は考えています。

 

 

ですが、そのような他者が意識している土俵では、競合も多いので、自分にとってよほどの得意分野でない限りは、やっぱり疲弊してしまいそうです。。

 

 

一方で、筋の良い努力をしている人は、他人から見たら努力をしているように見えないというわけです。

 

 

なぜかというと、「自分の土俵」の中で前進していっているからだと思います。

 

 

自分で作った自分だけの土俵なので、そこには競争論理・比較論理が働きません

 

 

当然、周囲は、そんな土俵があることすら知りませんので、そこでどんな努力が行われているのか知る由もないわけです。

 

 

恐らく山口周氏は、このような努力こそが筋が良いと言っているんですよね。

 

 

私も完全同意です。

 

 

他人の作った競争論理・比較論理の強い土俵で努力するのではなく、

 

 

自分で作った自分のためだけの土俵の中で努力する。

 

 

これこそが、筋の良い努力だと私は感じます。

 

 

そして、そのためには具体的にどうすればよいのかと言うと、いつも通りの話に収束していくのですが、

 

 

やはり、自分の本心に従うということです。自分がワクワクすること、インスピレーションが降りてきたことを、行動に移していくことです。

 

 

この場合、努力という言葉選びは適切ではありません。大いなる流れに乗るというイメージですね。

 

 

自分としては努力をしているつもりがないはずですが、他者からはその行動量から努力していると捉えられることもあるでしょうね。

 

 

そして、これは昨日書いた条件プログラムから解放された自己でもあり、イエス的な生き方であり、多くの方に愛・感動・勇気を与えるものです。

 

 

 

 

 

さて、ここからは他の人の素晴らしい言葉を借りて紹介していきたいと思います。

 

 

 何で他人が俺の進む道を決めんねん、自分の道は自分が決める/本田圭佑

 

 

 皆が喜んでくれる自分を演じるより、人目を気にせず、素顔の自分を表現すれば楽になる/美輪明宏

 

 

 私にとって最高の勝利は、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったこと/オードリー・ヘップバーン

 

 

 世の中ってオレより頭のいい人のほうが多いんだ/高田純次

 

 

 誰かになろうと思っても無理なんです/ゆりあんレトリーバー

 

 

 嫉妬は常に他人との比較においてであり、比較のないところには嫉妬はない/フランシス・ベーコン

 

 

 他人と比べるな、過去の自分と比べよ/野田 一夫



 自分で自分の事をどう思うか。それは他人からどう思われるかよりも、はるかに重要である/セネカ


 他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である/ラッセル


 人と比べない。人と比べない。あなたはあなた。自分は自分。人と比べない。人と比べない。あなたが霞むから/濱田マサル


 自分らしくあれ。他人の個性は、既に売り切れだ/オスカー・ワイルド


 他人のものさし 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな/相田みつを


 自己表現をし、自分に誠実であれ。成功した誰かを真似するな。自分であればいい/ブルース・リー


 本当の自由とは、自分のルールで生きるってことなんだよ/ドラゴン桜


 トマトがメロンになろうとするから不安なんです/相田みつを


 他人と戦争をしているものは、自分自身との平和を築いていない/ウィリアム・ハズリット

 

 

 

力強い名言で、身に沁みます。

 

 

やはり、他者に目を向けるのではなく、自分自身に目を向けることが突破口なのではないでしょうか。

 

 

誰かと比較してしまいそうになった時に、この記事を読んで、「比較しなくてもいいんだ。自分のままでいいんだ。」と思ってもらえたら幸いです。

 

 

本日は以上です。お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

やまけん